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週べ60周年記念

江夏豊は言う。「痛み止めの注射をしても投げたい」/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

先輩選手と美少年選手の妖しい関係


表紙は阪神江夏豊



 今回は『1969年5月19日号』。定価は60円。

 前年(1968年)の乱闘事件による右手親指骨折で選手生命を絶たれた、と書かれることが多いバッキーだが、阪神から移籍した近鉄でも普通に投げ、普通に打たれ、開幕3連敗となっていた。
 
 3敗目の4月29日阪急戦は、いきなり大熊に死球を与え、岡村の3ランを含む6連打で7点を取られ、一死も奪えず、降板だった。
「こんなこと生まれて初めて」
 と薄くなってきた髪をかきむしったバッキーは、右肩痛を抱えていたという。
「26日の東映戦で延長11回158球投げた。あの試合も7回くらいから肩がおかしかった。それで今日は病院で痛み止めの注射を打ったが、ブルペンから痛かった」
 トレーナーの“診断”は湿布をしておけば2日もしたら治る、というものだった。

 当時、投手の肩痛はかなり軽く考えられていたようで、
 23日の巨人戦に登板した阪神・江夏豊は4回あたりから肩の痛みを訴えたが、油性の鎮痛剤を塗って投げ続け、完封勝利を飾った。
 試合後、痛みが激しかった江夏は病院に行ったが、診断は「過度の使用による筋肉痛。休んでいればよくなる」だった。
 さらに、その後も1週間ほど痛みが取れず、再度病院に行ったが、
「毎日肩を慣らしていけば、3、4日すればピッチングができるだろう」
 だった。江夏自身も「次の巨人戦には痛み止めを打っても投げたい」と語っている。

 ご存知の方もいるかもしれないが、週べには当時「黒いユニホーム」という伝説の連載があった。
「ある事件にヒントを得た創作です」というあとがきがあるもので、八百長やらきな臭い話が書いてある。今回は、先輩選手と美少年選手の妖しい関係だった。
 あらためて、当時は自由だったなと思う。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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