昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ジムタイルの珍記録
今回は『1969年6月9日特大号』。定価は80円。
5月23日、西鉄・
中西太監督の休養が発表された。理由は「湿疹と肝臓病、糖尿病」。本人は会見に姿を見せず、球団側は「本人はショックを受けておりますので、自宅の取材などせず、そっとしておいてください」と言っていた。
休養というと、事実上解任のことが多いが、今回はそうではなかったようだ。
ただ、西鉄の低迷が深刻な状態にあったことも事実。「このまま退任するのでは」とも言われた。
中西監督は後日、自ら「自宅で報道陣に会いたい」と連絡して行った会見で、こう発言している。
「ファンの中に過激な人がいて、わたしも安心してゲームがやれんようになった。あんなことがあっては野球界の損失だし、とんでもない迷惑をかけるようになる」
あんなこと……5月22日、平和台での近鉄戦だった。敗色が濃い中、背広の男がバットを持ってグラウンドに降り、バッターボックスで素振り。試合再開後にはビンが次々投げ込まれ、近鉄の選手がケガをした。
三原脩監督は「こんな危険な状態で野球ができるか」としばらく試合再開に応じなかったという。
それ以前から西鉄へのヤジは熾烈を極め、座布団や空き缶が投げ込まれるのは普通になっていた。
のちに発覚する、あの“事件”があるだけに怖いが、試合中のベンチに入り込み、文句を言うファン(と言えるか?)もいたという。
この22日は近鉄3連戦で3連敗目だったが、その前は東京球場で
ロッテに連勝。
「東京で勝って、なぜ近鉄に負ける。おかしいぞ」とヤジが飛んだ。
この3連敗の敗戦投手は、
永易将之、
益田昭雄、
与田順欣だった……。
三原監督の抗議で試合が中断したとき、中西監督はベンチに座り込み、
「もうあかん」
と言ったという。たぶん、チーム内ではわかっていたはずだ……。
ひとつ珍記録があった。
5月18日、西宮球場での近鉄戦。左足アキレス腱の痛みがようやくやわらぎ、久々にスタメンに入った近鉄の
ジムタイルが2回、3号ホームランを放った。
しかし、その後、一塁ベース前でばたりと倒れ、左足を押さえ、動けなくなった。
結局、
伊勢孝夫が代走でホームイン。
近くの医院に運ばれたジムタイルは左ふくらはぎ肉離れで全治1カ月の診断を受け、
「骨にはなにもなくてよかったが、久ぶりのスタメンで張り切っていたら、またケガとは。今年はアンラッキーイヤーだ」
とがっかりした表情で話した。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM