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神宮第二、最後の試合。“東京の聖地”に思いを馳せる名将

 

試合後に両校で記念撮影


11月3日、神宮第二球場は野球場としての役目を終えている。最後の試合となった帝京高と日大三高の東京大会準々決勝後には、記念撮影が行われた


 真剣勝負、秋の公式戦である。来春のセンバツ出場をかけた大一番でもある。

 11月3日、東京大会準々決勝。帝京高が日大三高を2対1で下し、4年ぶりの4強進出を決めた。

 試合後、両校による集合写真の記念撮影があった。甲子園通算51勝の帝京高・前田三夫監督と同37勝の日大三高・小倉全由監督とのツーショットもあった。

 激闘の直後。通常ではまず、あり得ないシチュエーションであった。試合終了後、すでに一塁ベンチ下では小倉監督の囲み取材が始まっていた。その後、スチールカメラマンからの写真リクエスト。敗因を語っていた小倉監督だったが、快く撮影の要望に応じている。

 この日は、神宮第二球場が「野球場」としての営業を終える“特別な日”。1961年から春、夏、秋と「東京の聖地」として親しまれたラストゲームは、帝京高と日大三高による名門校同士のカードが組まれた。11月3日が「ラストゲーム」になることは組み合わせ抽選会の段階で決まっていたが、トーナメントであり、大会の展開は誰にも分からない。しかし「野球の神様」は東京の名将対決をラストマッチとした。不思議な縁である。

 リスペクトし合う2人。小倉監督は試合後「監督として勝たせないといけなかったが、前田さんと今日、戦えたことは幸せ」と話した。小倉監督は前任校・関東一高時代から何度も、前田監督と試合を重ねてきた。この日も「もう1回、前田さんから『勉強しろよ!』と言われた感じです」と明かした。

 この言葉を6月に70歳となった前田監督に伝えると「いくつだ? と言っておいてください(小倉監督は今年4月で62歳)」と言って、報道陣を笑わせた。前田監督は春1度、夏2度の甲子園優勝、小倉監督も夏2度の頂点に立ち、刺激し合ってきた。「勉強をしてここまできた。芯のある監督」と前田監督は敵将を素直に認める。昨年12月、東京都選抜がキューバ遠征を行った。前田監督の下、総合コーチだった小倉監督が指揮官を側面から支え、親交はさらに深まったという。「小倉監督からは、元気をもらっています」。前田監督の情熱は衰えることがない。

 帝京高は2011年夏以来、甲子園から遠ざかっている(東東京代表が帝京高で、西東京代表の日大三高が同夏に全国制覇)。この日の神宮第二球場は、通路に人があふれるほどの超満員(収容約5600人)の観衆だった。試合は2対1で、帝京高が逆転勝利。

「良いゲームだった。お客さんも入ったし、(最後に)ふさわしいゲームになったと思う。選手たちをゲーム中、感心しながら見ていた。今まで、なかなか勝てなかった。良い自信になっただろう、と思う」

昭和の香りが漂う球場


 両監督は、本塁ベース近くで固い握手を交わした。仲睦まじい光景に、スタンドに残ったファンからも拍手喝采。ラグビーで言う「ノーサイド精神」を高校野球で見た。

 前田監督は深々と一礼し、三塁ベンチへと引き揚げた。これまで、甲子園で多くの名勝負を指揮してきたが、神宮第二球場にも特別な思い入れがある。

「これで、最後だな、と。とにかく、頭を下げたい気持ちになった。半世紀以上の付き合い。感謝、感謝ですよ。第二の匂いがある。響きがある。お客さんと近いですし、相手の声援も耳に入る。にぎやかな球場です。ベンチでも熱が入りますよ」

 11月3日、15時15分。試合終了のサイレンとともに、60年近い歴史にピリオドが打たれた。スコアボードは手書き。「ダイニ」「ジンニ」とファン、関係者から愛され、昭和の香りが漂う球場は幕を下ろした。

「ゴルフ練習場」の顔もある同球場は、12月31日で一旦、営業が休止される。来年1月から10月末までは、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会に貸し出される。その後、明治神宮外苑の再開発の具体的な動きが決まり次第、取り壊しの方向だという。

文=岡本朋祐 写真=井田新輔

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週刊ベースボール編集部

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