昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 バッキーは101勝目が遠し……
今回は『1969年6月23日号』。定価は60円。
当時、プロ野球は人気の“頭打ち”が言われ、特にパ球団は深刻な経営難にあった。
この号では、近鉄の三原脩監督がかなり極端な球界改革案を語っている。現役監督がルール変更をマスコミの前で軽々しく言うな、という話はさておいて。
まず代走、代打の回数を制限せず、当時であれば
ロッテ・
飯島秀雄のような選手を何度も使ってよしとする。今でいえば、
ソフトバンクで
デスパイネが出たら必ず周東を代走にしたほうがスリリングにはなるという感じか。
代打も同様。たとえば2回まで可能とし、投手は打席に入らないとしたほうが、試合がアグレッシブになる、と。まだ、メジャーでもDHはない時代だ。
試合が大差になったら打ち切る。ペナントレースも1位から3位まで決まったら、そこで終了。「では、個人記録はどうする」という問いには、
「もともと球場やその日の風向きで違うもの。公平ではない。記録がどうこうとあまり大げさに言うような問題ではない」
ときっぱり言い切っている。
さらに投手が投げる球種を申告するというのもあった。その分、ストライクを2までとし、ファウルであってもアウトとする。
三原の提案は主にスピードアップ、アグレッシブさを増す、が主眼に置かれたものだった。
その三原率いる近鉄の好調は続き、首位阪急との6月7、8日の3連戦(シングル、ダブル)を2勝1敗と勝ち越し、ゲーム差を2とした。
連勝となった8日のダブルヘッダー。1試合目の立役者は先発の
鈴木啓示。8回までノーヒットノーラン、9回先頭の長池にヒットを許したが、完封で10勝目だ。
「ノーヒットノーランを逃したのは悔しいが、阪急に勝ってすっとしましたわ」
と鈴木。打っては3連続二塁打だ。この男に関しては、三原プランも不要か。
第2戦のヒーローは
永淵洋三。延長10回にサヨナラ打だ。この時点ではダントツの打率トップ。首位打者について振られると、
「いやいや、そんなこと、まだ早いですよ」
と笑顔で話していた。
好調なチームの中でバッキーに勝ち運がない。左太もも肉離れでの離脱から復帰し、8日の2試合目に登板。7回2失点の好投だったが、勝ち星がつかなかった。
勝ち星は、
阪神時代の前年8月27日、通算100勝を挙げたのが最後。阪神時代は、勝てないとチームや打線のせいにし、毒を吐きまくることも多かったが、
「チームが勝ったからそれでいいよ。近鉄は阪神よりよく打つから、そのうち僕も勝てるでしょ」
と意外とあっさりしていた。
引き際が近づき、持ち前のハングリーさが薄れてきたともいえるのか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM