昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 400勝へ足踏みの金田
今回は『1969年7月21日号』。定価は60円。
400勝まであと3勝と迫っていた
巨人・
金田正一だが、なかなか前に進まない。
6月26日、広島・朝井にホームスチールを決められた際には、「20年やっていて初めてや。ワシもなめられたもんや。もう引退や」とこぼした。
「もう引退や」は口癖状態になっていたようだが、実際、もともと悪いヒジが梅雨時には「痛くてネクタイも結べない」状態になり、球がまったく走っていなかったのも事実。
ブルペンで受けることが多い淡河は、
「カネやんはいつも投げるたび『速いやろ』と言うんですが、最近は、なんて答えていいか分からないんですよ」
と話していた。
あれほど嫌がっていたリリーフも受け入れ、
「リリーフでも敗戦処理でもなんでも使ってもらう。もう勝ち負けにはこだわらん。それよりチームのためが大切や」
とも言っている。
本人の思惑とは別に、周囲の雰囲気も、いつの間にか「400勝で引退」が既定路線のようになっていた。
その巨人は、深刻な
阪神・
江夏豊アレルギーとなっていた。
3試合連続、30イニング連続無失点。あの
長嶋茂雄でさえ、「でも俺はヒット1本打ったぜ。江夏から1本打ったらまあよかったとしないとね」という始末。
それでも
川上哲治監督は7月4日の試合で、
柴田勲を四番にすえる奇襲作戦で攻略。4試合連続完封負けは免れた。
殊勲打も放った柴田は、
「四番と言っても作戦上だからね。どうということはないよ」と言いながらも
「でもケガとかどちらかが大不振ならともかく、ON健在のときに2人にはさまれて四番を打つというのは悪い気持ちじゃないよ」
とニヤリ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM