昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 新人・星野仙一の言葉
今回は『1969年8月11日号』。定価は60円。
三原脩監督率いる近鉄が、オールスターまで首位を走っていた。当時球宴時首位にいたチームが優勝する確率は75パーセントと言われたが、三原監督は、なかなか「優勝」の二文字は口にせず、
「これから苦しい時期は何度もある。まずは70勝ですね」
と慎重だった。
好調だけに、球宴には
鈴木啓示をはじめ近鉄から6人が選ばれたが、ほかのチームの選手が驚いたのは、いつも6人で固まり、ほかに近づかないこと。
実は、三原監督に「他チームの選手とは必要なこと以外話すな」と指示されていたのだ、
情報をもらさず、しかも、「あいつらは何を考えているか分からない」と思わせたほうが有利と思ったのかもしれない。三原監督は相手を刺激しても仕方がないと、ベンチからのヤジも嫌っていた。
1969年7月20日、アポロ11号が月面に着陸した。
別に野球界とは関係がないと思うのだが、オールスター第3戦(平和台)で51分の停電となると、すかさず「アポロ時代に停電とは」という記事になる。
「月を人が歩く時代なのに、電気が消えたらすぐ修理できないなんてね」
というわけだ。
試合は11時半に同点引き分けで終わったが、表彰式の前に帰ってしまう選手が続出し、最後までバタバタだったという。
球宴時、他球団同士の対談が組まれるのが(かつての)週べの恒例だが、新人火消し役対談として
中日・
星野仙一、東映・
金田留広が登場していた。
星野は「強心臓新人」と言われることが多かったが、それについてこう話している。
「本当の自分は別に気は強くないんだ。むしろ弱いんじゃないかな。だからそういうマスコミがつけたニックネームは好きじゃないんだよ。ただ、勝負の世界に生きる者がいつも尻尾をまいて、弱気な面ばかりを見せていては、それこそ一発で突き落とされてしまう。やっぱり強気でいかなきゃウソだと思うんだ。いつも自分に言い聞かせているんだ。強気でいけ、とね」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM