昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 広島・上田利治コーチは辞意撤回
今回は『1969年8月18日号』。定価は60円。
下位に低迷する
広島で、
上田利治コーチがシーズン中にもかかわらず、辞意を表明した。
根本陸夫監督との確執もあったようだが、それ以上に大きかったのは西野球団常務への怒りだったようだ。要するに、やたらと現場介入するタイプだったのだ。
それでも松田オーナー直々の説得で辞意は撤回した。
「こんどだけは、誰の説得も聞かないつもりだった。だが、オーナーから問題があるなら、それを放り投げていくのはどうか、と言われ、もう一度気持ちを駆り立てて真っ正面から行くことにした」
目には涙が光っていた。
ベネズエラ・カラカス郊外の飛行場近くで野宿をしているとも伝えられたグローバル・リーグ、東京ドラゴンズの面々だが、大使館の援助で航空券を手にし、ようやく帰国の運びとなった。
ホテル代の未払いを理由に出国を禁止された面々は、当初は海岸のボート小屋で野宿同様の生活をしていたが、見かねた大使館が館内の離れを開放して選手たちを泊まらせ、食費の援助をするようになった。
大使館内に移ってからロスにいた
森徹監督が送ってきた400ドルで、英語ができる古賀をディルペック氏の下に行き、交渉。1万4000ドルを切らせたが、これも不渡りだった。
ひとまず大使館がロスまでの飛行機代を立て替え、その後、帰国ということになっていた。
8年連続ホームラン王の
野村克也は、タイトル継続に黄色信号となっていた。
とにかくケガが多い。7月12日の近鉄戦ではホームベース上で、近鉄・岩木と激突し、左肩の鎖骨と右手首を痛め、戦線離脱となった。
ホームランは14本で、東映の
大杉勝男らにリードを許していた。それでも
「10本なら無理だが、5、6本差なら大丈夫。そして並べばワシのものだよ」
と話していた。
急死したアトムズの
ルー・ジャクソン(初出修正)の後釜に、7月31日になって
ボブ・チャンスが来日。身長198センチの巨漢バッターだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM