ロバーツの負傷
今回は『1969年9月8日号』。定価は70円。
青森・三沢高のエース、
太田幸司が決勝再試合の末、松山商高に敗れたが、最後まで投げ切った太田、つまりコーちゃん人気が急上昇。まさに社会現象となっていた。
太田の家は三沢基地の隣にあり、基地勤務の父親とロシア系の母・タマラさんのもとに生まれたハーフ。今なら格好いいが、当時は少年時代、いろいろからかわれたらしい。
ほかにもハーフの選手がプロ野球で頭角を現してきた時期でもある。
ともあれ、甘いマスクの太田は女子高生のアイドルとなり、青森県三沢の実家には毎日500通のファンレターが届いていた。
決勝の後、三沢高は市内で準優勝パレードを行ったが、そこにも多くのファンが集まった。
その後、太田はブラジル遠征の全日本チームにも選ばれたが、事前合宿をした東京・つつじが丘の明大グラウンドには連日500人の太田親衛隊が集まったという。
巨人・
王貞治と三冠王争いをしていたアトムズのロバーツにアクシデントが起こった。
29号を打った8月20日、神宮の巨人戦だった。一塁寄りのゴロを打った際、走塁時、ベースカバーに入った投手と激突し、負傷。左肩打撲で全治3週間と診断された。
周囲からは巨人がタイトルを獲らせないため、あえてラフプレーに出たのでは、という声もあったが、ロバーツは、
「偶発的なものだと思う。故意の仕組まれたものとは思わない」
と話していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM