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「私の敵 東大野球部」でレジェンドたちが語ったこと

 

他の5大学が東大に敗れるとき


東大野球部の創部百周年記念トークイベント「私の敵 東大野球部」が11月24日、東大教養学部キャンパス内で行われた。登壇者は左から山下大輔氏(慶大OB)、山中正竹氏(法大OB)、徳武定祐氏(早大OB)、丸山清光氏(明大OB)、野口裕美氏(立大OB)


 253勝1658敗56分、勝率.132。
 優勝0回。

 1925年秋、東大(当時・東京帝国大)が正式加盟して東京六大学リーグ戦がスタートした。1919年創部。初代野球部長・長与又郎氏は部員たちに「どんなに苦しくても自ら脱退することのないように」と「必ず1回は優勝するように」と2点を示した。歴代の部員は先人からの教えを守り、対戦する5大学から勝利を挙げるための努力を続けてきた。

 1勝するのが、どれだけ大変なことか――。さらに、勝ち点(2勝)をマークするには、さらにハードルは高くなる。1998年春から今秋まで44季連続最下位。東大野球部の苦闘の歴史が、冒頭の通算成績(2019年秋終了時点)にもはっきりと表れている。

 創部100周年を記念して11月24日、かつてないトークイベントが東大教養学部キャンパス内で開催された。

 タイトルは「私の敵 東大野球部」。サブタイトルは「他の5大学から見た東大」。主役は当然、東大野球部だが、対戦する5校の野球部OBにエピソードを語ってもらうのだ。

 東大野球部関係者が何を知りたいのかと言えば「私たちは他の5大学からどう見られているのだろうか?」。相手校に「負けた記憶」を、呼び起こさせる場であったのだ。

 主催者側(東大OB会=一誠会)はまず「他の5大学が東大に敗れるとき」と、連想させる9つの感情パターンを挙げている。

・油断
・不覚
・波乱
・取りこぼし
・格下相手
・まさかの……
・金星
・番狂わせ
・奇跡

 会場内は大爆笑も、登壇者は苦笑いするしかない。主催者挨拶では「すでに、時効です。当時のことを暴露してください!!」とリクエスト。本音を引き出すのが最大の目的だったが、さすがに公の場で、一線を越えることはない。言うまでもなく、東京六大学は対抗戦。相手をリスペクトしているからである。

それぞれの敗戦時のエピソード


 時代別に登壇したレジェンド5人。

 1958年秋。東大が早大から初めて勝ち点をマークしたシーズン(5大学で最後)。当時2年生だった早大OB・徳武定祐氏(元国鉄ほか)は「東大に負けたことは、早稲田の野球部にとってありがたかった。カンフル剤になった」。当時、早大を率いた石井連藏監督はまさしく「鬼」となると、翌年の大学選手権初制覇へ導き、4年秋には伝説の名勝負「早慶6連戦」での逆転優勝を遂げている。

 1973年秋。慶大は東大に連敗で勝ち点を落とした。慶大は71年秋から72年秋にかけて3連覇。すでに中心選手だった慶大OB・山下大輔氏(元大洋)は4年春に4位、秋は5位と力を出し切ることができなかった。ラストシーズンの秋に東大に力負け。自身は2試合で8打数無安打。「(相手投手が)合気道の達人のように感じてきて、タイミングが合わない。気持ちばかり焦る。考えているうちに終わった……」。この敗戦が野球人生の分岐点となった。「野球に対する心残り。就職も決めていたんですが、(プロ入りの)決め手は、東大に勝ち点を落としたこと」と明かした。

 1975年秋。前季優勝の明大は開幕カードで東大に連敗を喫した。当時の主将兼エースの丸山清光氏は島岡吉郎元監督とのエピソードを交え、具体的に44年前を回顧した。丸山氏は東大1回戦で先勝した上で2回戦は地元・長野の教員採用試験を受ける予定だったという。しかし、そのスケジュールに狂いが生じた。1回戦を落とした。「御大に『明日、行きます』とは口が裂けても……。『明日、投げて勝ちますから』と言うほかない。負けてしまいましたが……」。

 教員の道を断念することとなったが、後悔はない。負けた以上、主戦として投げるのが当たり前の時代で、それだけの責任を負って神宮のマウンドに上がっていたのだ。連敗後は主将として「辞表」を準備していたほど、決死の覚悟を胸に戦っていた。その後、明大は息を吹き返して優勝。主催者側は「東大にストレート負けしての優勝は史上初」と紹介すると、場内はまたも、爆笑の渦に包まれた。

 1982年秋。立大は東大に連敗し、最下位に沈んだ。当時のエース左腕・野口裕美氏(元西武)は、来る日も来る日もマウンドに立った獅子奮迅のエースだった。「勝っても負けても野口」と言われた時代である。同秋は4勝8敗。「東大だけに連敗した。(4年秋のシーズンで)これで六大学を終えないといけない……。ものすごく悔しかった」。前年春、東大は史上初めて早大と東大から勝ち点を挙げて4位に躍進し、「赤門旋風」を巻き起こした。主力選手が卒業した翌年ではあったが、野口氏は東大の意地の前に屈したのである。

 東京六大学不滅の最多48勝をマークした法大・山中正竹氏は在学4年間で、東大に無敗だった。しかし、9年間務めた監督時代は2敗(1995年秋、99年春)を喫している。主催者側からはすかさず「このイベントの有資格者です!!」と突っ込みが入った。山中氏は「95年秋は平野(裕一)監督が継投をされてきて、最後に投げた1年生・氏家(修)投手が素晴らしかった。これから苦しめられるな、と。99年春は遠藤投手(良平、元日本ハム)に抑えられ、悔しくてミーティングが長くなった(苦笑)」と、当時を振り返った。

結果を出すに厳しい時代だが……


 山中氏は170センチの身長でも、抜群の制球力と投球術で「小さな大エース」と呼ばれた。この日のトークイベントは現役部員も出席しており、アドバイスを送っている。

「1年時、新宿の治療院に行くと、関根潤三さん(法大OB、元近鉄ほか)と偶然、会ったんです。関根さんも体が大きいほうではありませんでしたが『小さいな』と……。『走っていけば大丈夫』と言われた。あれが、天の声かと……。理屈の上では分かりませんが、実際には良かったと思っています。野球は、考える時間がある。東大の選手は、考える力を一番持っている」。練習量と、頭脳を最大限に活用した取り組みの大切さを説いた。

 20年前には.150あった東大の勝率も、10年前は.140、そして今秋の時点で.132と苦戦が続く。他の5大学は入試制度改革などで着々と強化を進めているが、東大は今も昔も不変。超難関入試を突破した学生だけで、メンバー構成していかなければならない。20年前と比較しても、神宮で結果を出すには、明らかに厳しい時代となっている。

 今秋まで7年間率いた東大・浜田一志監督は、高校生や浪人生への地道な入試勧誘により、過去最多100人を超える大所帯にした。部内の競争、活性化は顕著である。11月の新チームからは井手峻監督(元中日)が率い、最下位脱出、Aクラス入りを狙っていく。そして、創部以来の永遠のテーマ「必ず1回は優勝するように」を心に秘めて戦う。現役部員にとってレジェンド5人からの話は、歴史の重みを再認識し、励みになったはずだ。

 約2時間30分のトークイベントは、あっという間に過ぎた。日本に野球が伝わったのは1872年。そのルーツをさかのぼれば、旧制・一高の流れをくむ東大の存在なくして語ることはできない。戦った時代は大きく違っても、「東京六大学」「神宮球場」という共通項により、6校の絆の深さをあらためて感じた。

文=岡本朋祐 写真=BBM

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