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飢えと怒りと絶望……グローバル・リーグの帰国/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

南海・杉浦忠、久々の完投勝利


表紙は阪神田淵幸一



 今回は『1969年9月29日号』。定価は70円。

 何回となく紹介してきた「グローバル・リーグ」放浪記。たぶん、これが最後の記事になるのだろう。
 
 9月12日、「恥さらし」「国辱チーム」と言われた東京ドラゴンズが羽田空港に到着した。
 すぐ記者会見となったが、森徹監督が「来年もやると向こうは言っている。いまはそんな話に乗れないが、やるとしたら、この苦労が生きるだろう」と言っていた。
 宿泊費の未払いで野宿、国外脱出を図るも飛行機から強制的に降ろされたなど、ネガティブな報道が日本に面白おかしく伝えられた。「飢えと怒りと絶望」も、この記事のタイトルだったが、選手は意外と明るかったようだ。
「野宿だって1回だけだし、それも楽しかったですよ」(元東映・野崎)
「ちょっと個人ではいけないような旅行だった。こんな貴重な外国旅行はないですよ」(元産経・関根)
 ここでチームは解散。5カ月間でもらった給料は20万だけだったという。まるでバックパッカーのよう、いや、猿岩石のような旅だった。

 代理監督だった矢ノ浦国満の手記もあった。
 最初の異変は5月23日だったという。カラカスでの試合はそれなりにお客さんも入って、順調に思われたのだが、この日、ホテルから立ち退きを求められた。聞くと、すでに50日間の宿泊費が滞納されていたという。

 そこから宿を出て、近くの安宿に泊まったが、とにかくカネがない。日本から持ってきたカメラ、時計、さらにはスパイクも売って食費の足しにしたが、それでも日本大使館に“保護”されるまでは、ほぼパンと水だけの毎日だったという。
 
 血行障害で医師から60球以上の登板を禁止されていた南海・杉浦忠が9月7日の西鉄戦(大阪)で4年ぶりの完投勝利を飾った。
 当然球数は60球ではすまず、112球。杉浦は「なんとなく9回まで行った感じ。ついてましたよ」と言った後、
「ボールがキャッチャーに届かなくなるまで投げたい」
 ときっぱり言い切った。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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