落合の圧巻の得点圏打率
セ・パ誕生から70年目の2019年シーズンが終わった。週刊ベースボールでは、これを記念し、1年を1冊でまとめる別冊シリーズをスタートすることにした。
ただ、さすがに70年をすべてやるとなると、月に1回でも70カ月、5年以上だ。
今回は、制作スタッフ側の勝手な思い入れで申し訳ないが(40代、50代)、球界が一番荒々しくも熱かった1980年代にターゲットを絞ることにする。
第1回は、阪神優勝、日本一で沸いた1985年だ。
ここでは、そこに掲載された記事の中から「
落合博満、バースの三冠王はどこがすごかったのか」の記事を抜粋し、再録してみよう。
シーズン前から「今年はタイトルを獲る。それも全部いただく」と三冠王を公言してきた
ロッテ不動の四番・落合博満(ロッテ)が、有言実行、2度目の快挙を成し遂げた。
打率は2位のデービス(近鉄)に2分4厘差の.367、本塁打がデービス、
秋山幸二(
西武)に12本差の52本、打点も
ブーマー(阪急)に24点差の146打点と、いずれも2位以下に大差をつけている。
82年に一度目の三冠王となった際、打率.325、32本塁打、99打点の数字を「物足りない」という声もあり、この年は、「数字で納得させ、文句は言わせない」という落合の意地もあってのハイレベルな数字での獲得だった。
数字を意識しながらタイトルを狙った、と感じるのは、特に後半がすさまじかったからだ。
8月が打率.411、10本塁打、24打点、9月が.409、10本塁打、27打点、10月は打率こそ.333だが、9本塁打、23打点。
圧巻は最後の4日間だ。10月18日の
日本ハム戦が4打数4安打4打点、シーズン11度目の1試合2本塁打以上もマークした。翌19日の同カードでホームラン1本、3打点、20日の同カードでも初回タイムリー、5回二塁打、9回には3ランで5打点。21日、西武とのこの年の最終戦では2安打2打点、
野村克也(南海)と並ぶパ・タイ52本塁打を放っている。
打球方向は広角。ただ、センター中心を意識し、自然に左右というよりは明らかに狙ってライト、レフトに打ち分けているように見える。特に右打者でライトに21本塁打は特筆すべき数字だろう。ライト側が狭い川崎を本拠地にしているからこその数字だ。
走者別では得点圏で122打数60安打、16本塁打、98打点、打率.492。すさまじいとしかいいようがない驚異の数字だ。
もう一人の三冠王が、阪神ファンに「神様」と呼ばれ、85年に三冠王&MVPにもなったバースだ。
83年に来日し、1年目から35本塁打、2年目の84年は、ホームランは27本だったが、打率は.326をマーク。迎えた85年はすさまじい勢いで打ちまくってチームを優勝、さらに日本一にけん引した立役者となった。
タイトル争いでは6月2日に3部門でトップに立ち、本塁打、打点は危なげなく進んだが、熾烈だったのが、チームメート、
岡田彰布との首位打者争いだ。10月16日、優勝決定時点ではわずか1厘差に迫られていたが、最終的には8厘差で逃げ切っている。
月別の打率で見ると3割を切ったのは7月の打率.290のみと大きなスランプはなかったが、出足が振るわず開幕から15打数2安打6三振、ホームランは0。4月17日の
巨人戦(甲子園)、伝説のバックスクリーン3連発が第1号だった。
話題となったのは、当時の日本記録、
王貞治(巨人。当時は監督)の55本塁打へ挑戦だ。10月20日、
中日戦で54号を放った後、巨人戦2試合が残り、9打席に立ったが、巨人の投手は
江川卓以外勝負を避け、6つの四球を選ぶことになった。
ただ、バースは対巨人に.210、本塁打もわずか4本と苦手にしており、最終戦の舞台にもなった巨人の本拠地後楽園は打率.152、本塁打はゼロだった。
だからこそ、勝負してほしかった、とも思う。
ホームランの打球方向を見ると、もちろんライトへの27本塁打が目立つが、レフト方向への18本塁打も光る。これは左打者の流した打球が浜風に乗って伸びる甲子園の特徴を把握していたからでもある。
落合ほどではないが、得点圏の数字が16本塁打、85打点、打率.392と、こちらも際立って高い数字となっている。