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脅威の4億5000万円ダウン……年俸額の上下動が激しかった選手たちとは?

 

 野球選手の年俸は活躍すればするほど大きくアップし、反対に活躍できなければ大きく下がるもの。一気に1億円以上アップすることもあれば、同じだけ下がることもあり得る。そこで今回は、こうした年俸の上下動が激しかった選手を紹介する。
※記事内の年俸は推定金額


●杉内俊哉

1500万円(2002年)
⇒1億5000万円(2006年)
⇒3億円(2010年)
⇒5億円(2013年)
⇒5000万円(2016年)

 2002年にダイエーに入団した杉内は、18勝を挙げた2005年オフに1億5000万円で契約更改。4年後の2010年には年俸が3億円までアップした。その後FAで巨人に移籍し、2013年にはついに年俸5億円に到達。しかし、ケガの影響で思ったように投げることができなくなり、2015年オフに4億5000万円ダウンとなる5000万円で契約更改した。4億5000万円は現在も破られていない球界史上最大の減額だ。


●小笠原道大

1200万円(1997年)
⇒1億1000万円(2001年)
⇒3億円(2003年)
⇒4億3000万円(2011年)
⇒7000万円(2013年)

「ガッツ」の愛称で親しまれた小笠原は日本ハム入団5年目の2001年に1億円プレーヤーになると、2002年オフには年俸が3億円にまで上昇。その後、2007年に巨人へFA移籍。2011年からは年俸4億3000万円の2年契約を結ぶも2年連続で不調に陥り、2012年オフの契約更改で年俸は7000万円までダウンした。ちなみに、3億6000万円ダウンは、杉内が記録を更新するまでは球界記録だった。


●阿部慎之助

1300万円(2001年)
⇒1億1000万円(2005年)
⇒3億5000万円(2010年)
⇒6億円(2014年)
⇒5億1000万円(2015年)
⇒3億2600万円(2016年)
⇒1億6000万円(2019年)

 2014年には当時球界最高年俸となる6億円プレーヤーになった巨人の阿部。しかし、このシーズン中にケガの影響で不振に陥り、年俸は9000万円もダウン。翌2015年も調子を取り戻すことができず、今度は1億8400万円ものダウン提示を受けてしまう。その後も不振により毎年のように年俸が下がり、2019年は1億6000万円になってしまった。


●岩瀬仁紀

4200万円(1999年)
⇒1億5000万円(2002年)
⇒2億円(2004年)
⇒4億5000万円(2012年)
⇒3億円(2015年)
⇒5000万円(2016年)
⇒7500万円(2018年)

 1999年に入団した岩瀬は、2003年まで中継ぎとして活躍。抑えを任されるようになった2004年以降、チームの絶対的守護神として長きにわたり君臨した。年俸も順調に上昇し、2012年には4億5000万円に到達したが、同年から不振が続き、2015年には3億円まで下がってしまう。さらにこの年も実戦登板がなく、オフに2億5000万円ダウンと大幅な減額となった。しかし、2017年にはカムバック賞を受賞し、2018年の年俸は2500万円アップと巻き返した。


●松坂大輔

1300万円(1999年)
⇒1億円(2001年)
⇒2億円(2004年)
⇒3億3000万円(2006年)
⇒約10億3000万円(2011年)
⇒4億円(2016年)
⇒1500万円(2018年)
⇒8000万円(2019年)

 平成の怪物・松坂大輔はアップダウンも怪物級。3年目の2001年にいきなり1億円にアップし、その後は2億円、3億円と順調にステップアップ。メジャー移籍後は最高10億円を突破した。2015年には4億円でNPBのソフトバンクに復帰するが、3年間でまさかの登板1で自由契約となり、2018年に年俸1500万円で中日と再契約。中日1年目は6勝を挙げ、年俸は8000万円まで上昇したものの、2019年は2試合の登板に終わり、自ら退団の道を選んだ。今後は14年ぶりの西武復帰が濃厚だが、年俸がいくらになるのか見物だ。


●中村紀洋

430万円(1992年)
⇒6,000万円(1997年)
⇒1億4000万円(2000年)
⇒3億円(2001年)
⇒5億円(2002年)
⇒2億円(2006年)
⇒600万円(2007年)
⇒1億5000万円(2009年)
⇒500万円(2011年)
⇒5000万円(2014年)

 近鉄入団1年目は430万円だった年俸が、2002年には5億円まで上昇。その後、メジャー挑戦を挟んで2006年にオリックスと2億円で契約するが、思ったような結果が残せずに退団。翌年、育成選手として中日に年俸600万円で入団した。中日では一時四番を任されるなど活躍し、2009年の楽天移籍時には年俸1億5000万円まで再上昇。その後も2011年に横浜のユニフォームを着て500万円→5000万円と年俸は激しく上下した。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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