昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 星野仙一は新人王になれるのか?
今回は『1969年10月20日号』。定価は70円。
前号の予告どおり、表紙は三沢高の太田幸司。中央でも15ページのグラビア特集(写真メーン)がある。
太田人気のすごさは、女子高校生という、当時のプロ球界が弱かったファン層を取り込んだことだ。
ただ、ほぼ写真で記事があまりないので、ここで紹介できることは特にない。
新人たちの紹介記事があった。パの新人王候補は、現在17勝の東映・
金田留広と、規定打席未到達ながら打率3割、18本塁打の
ロッテ・
有藤通世だ。
金田は正一(
巨人)の実弟。かつて高義、星雄と2人の弟がプロ入り(国鉄)したが、1勝もできなかった。
それだけに、なんとしても留広は一人前にしたい、という思いが強く、この年は、自分の家に住まわせ、ピッチング術、プロ根性を叩きこんだ。
兄は弟に3つの戒めを与えたという。
一、 東京のゲームは、午後11時までに帰れ。
二、 バーや飲み屋の出入りは絶対禁ず。どうしても飲みたければビール2本まで。ただし、場所は自宅に限る。
三、 朝の散歩とバッティングは欠かすな。そして20勝は勝て!
だった。
金田は、バッティングは足腰を鍛えるために大切と思っていた。
セの新人は
阪神・
田淵幸一はホームランは打っているが、打率はイマイチとあって「新人王が出るとしたら
星野仙一(
中日)しかいないだろう」の声もあった、というか、本人がそう言っていたようだ。
9月に5勝を挙げたが、勝ち星はまだ8勝。ただこれは前半戦リリーフに回っていたからでもある。
「最近、どの新聞を見ても、僕の新人王なんか問題にしていない。おかしいじゃないですか。勝ち星の8勝に12のセーブポイントを加えたら、20勝したのと同じです。星野仙一を新人王の対象にしてくれたっていいじゃないか。けしからん、こんちくしょう」
メジャーでは、この年からセーブが公式記録になって話題になっていた。
星野はたびたび新人らしからぬ発言をしていたが、不思議と記者には嫌われなかった。
パでは名門南海が最下位の泥沼に沈み、
飯田徳治監督の後任監督が話題になっていた。
まず名前が挙がったのが、任意引退を告げられたばかりの
ブレイザー。川勝オーナーの「ブレイザーは野球をよく知っている。監督にすえたら面白い野球をするだろう」という発言からだったが、球団代表らが即座に「ありえません」と否定した。
最有力は
野村克也だが、選手兼任に難色を示していた。なお、このとき野村には巨人からトレードの申し込みがあったらしいが、球団がきっぱり断った。
ほか外部では
青田昇らの名前も挙がったが、「大物を監督にするはいいが、球団は契約金を払えるか」「そもそも、こんなボロボロの状態のチームを誰が引き受けるのか」とも言われ、難航が予想されていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM