昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ついに黒い霧事件発覚
今回は『1969年10月20日号』。定価は70円。
10月9日、午後9時23分、巨人優勝決定。表紙は5連覇を決めた名将・川上哲治監督の腕組みだ。
ただし、大きな見出しは、
「ついに暴かれた! プロ野球八百長事件の実態」だった。
最初に断っておく。
この事件は多くのメディアで何度も特集が組まれ、関係者の証言も次々発表されているが、この連載では、あくまで「その号に書いてあった記事」を紹介していく。
発端は10月8日の報知新聞、読売新聞の朝刊だった。
西鉄・
永易将之が八百長試合をしていたという記事が載った。
その後、西鉄の国広社長が「永易は八百長をやっていた。永久追放する」と発表したが、「コミッショナーに相談せずに勝手に永久追放するのか」の声もあって、のち「永久追放と言った覚えはない」ととぼけた。
永易をはじめ、3、4人の西鉄投手の挙動が怪しいのは、チーム内では8月くらいから周知の事実になっていたという。明らかに暴力団関係者とおぼしき男たちが彼らにつきまとい、しばしば球場にも顔を出していた。
特に永易は年俸150万円にもかかわらず、連日高級クラブ通い。もともと「怪しい」の声はあった。
球団が実際にマークしたのは、5月30日の南海戦(大阪)からだったという。このときは2回を投げて自責点7。相手の南海が「投手の球じゃない。何があったのか」と話題になっていたほどのピッチング。その後、以前から永易が味方の打者に「打たないでくれ」、味方投手に「打たれてくれ。それなりの報酬はするから」と声をかけていたのも明らかになっていた。
球界の八百長汚染は当時、かなり広がっていたようだ。
一番言われていたのが近鉄。暴力団組員が「八百長をさせるなら近鉄の選手が手っ取り早い」と言ったという話もある。実際、九州より関西のほうが野球賭博は盛んだった。
その後の文章を見れば単なる編集ミスの類なのだが、編集部にあるこの号は、国広社長の「ほかの球団でもやっている選
でページが変わり、次ページのその続きが見当たらない。
では、またあした。この号の続きです。
<次回に続く>
写真=BBM