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ライオンズ「チームスタッフ物語」

西武優勝の要因となったケガ人の少なさ。選手の体調管理に尽力したトレーナー/ライオンズ「チームスタッフ物語」Vol.07

 

首脳陣を含めて91人――。ライオンズで支配下、育成選手72人より多いのがチームスタッフだ。グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。獅子を支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していこう。

中学時代のケガを思い出して


山本健トレーナー


西武はなぜケガ人が出ないんですか」

 ソフトバンクからFA宣言した福田秀平が西武との交渉に臨んだ際、渡辺久信GMにこのような質問を投げかけたという。今季、リーグ連覇を果たした西武だが長期離脱する主力が少なかったことも大きな要因となった。ここ数年、力を入れてきたメディカル部門の強化が実を結んでいる証拠だが、その一人として、優勝を陰から支えたのが山本健一軍チーフトレーナーだ。

「選手が頼ってきてくれていたので、それに応えたいと思っていただけです」と謙虚に話す山本トレーナーだが、この道を志したのは大学生のころだった。自身も幼いころから野球をプレー。しかし、軟式野球部に入った中学生時代、投球練習中に肩を痛めた。

「投げていて“パンッ”と音がしたんですね。今だったら分かるんですけど、右肩の回旋腱板を損傷したんでしょう。そのときは“なんか肩が上がらなくなったな”と思って針治療をやったんですけど、まったく良くならなかったんですよね」

 高校では野球をあきらめ、サッカーをプレー。全国大会に出場したこともあった強豪校だったが、卒業して仙台から上京後、大学では遊び程度にラクロスをプレーするだけだった。スポーツの道から外れた日常を過ごすなか、将来の職業として「スポーツの仕事にかかわりたい」という思いを抱くようになる。そのとき、ふと頭に浮かんだのが中学時代に野球でケガをしたことだった。

 思い立ったら、行動は早かった。当時はインターネットなどない。どうすれば自分の希望する道に進めるのか。専門誌を読み、そこに寄稿している大学教授に手紙を送って相談した。返事もしっかり来たというが、自分の夢を実現するために大学卒業後は地元・仙台にある鍼灸の専門学校へ。3年間、国家資格を取るためにひたすら勉強に打ち込んだ。

 専門学校を終え、就職したのは小守スポーツマッサージ療院。創業したのは鍼灸按マッサージを一つの治療メソッドとして確立し、トレーナーの必要性をスポーツ界に認識させたと言われる小守良勝氏だ。同療院で働きながらスポーツマッサージの技量を上げた。転機は2004年。同療院はもともとトレーナーを西武に派遣するなど球団とつながりがあった。西武のトレーナーがやめたタイミングで白羽の矢が山本に立ち、2つ返事でプロ野球界に飛び込んでいった。

“見る”ではなく“観察”する


 伊東勤政権1年目、最初は二軍からスタート。

「朝は早いときには7時ごろに球場へ行って、遅いときは8、9時くらいまで。朝から晩までマッサージ、治療、選手の状態の確認といろいろなことやっていましたね」

 しかし、それがつらいとは思わなかった。野球に携われることに大きな喜びを感じていた。

「当時、若手だった栗山(巧)選手や中村(剛也)選手もファームで一生懸命に練習していましたね。ティー上げをするなど練習の手伝いをしたのは覚えています。二軍選手は若いので、寝て起きたら次の日は元気というイメージでしたね」

 翌05年からは一軍へ。トレーナーとしては一番下だったが、そのころに先輩から言われたことはよく覚えている。

「どこかに痛みを抱えている選手がほとんどなので、治療するなら痛みを少しでも取り除いて、1パーセントでも良くないといけない、ということはよく言われました」

 印象深かった選手は和田一浩だという。

「主力中の主力でしたが、体のケアに関しては人一倍、気を使っていましたね。朝、球場に来たら体のチェック。そのあとの練習で少しでも違和感があると治療を行っていました」

 当時はどちらかというと選手主体。「体の状態がおかしいので診てください」と選手側からトレーナーに“発信”してきたが、現在は予防メーンに変わってきた。

「今はそこに重点に置いていますね。この選手の動きが変だとなったら、こちらから選手のところに行って確認。それを繰り返して、大事に至らないように心掛けています。だからか、ここ2、3年は西武の選手でそこまでの大きなケガはないと思います。もちろん、選手の体が強いということも大きいですけど、前々にチェックして。毎日、トレーナー同士でミーティングをやっていましたし、月1回、S&C(ストレングス&コンディショニング)とミーティングもして情報共有をしていました」

 選手の状態を見極めるためには“見る”ではなく、“観察”することが重要だ。

「練習中でも全体的な体の動きを見て、少しでもいつものイメージと違ったら声を掛けますね。選手の異常に気付かなければ話になりませんから」

 さらに治療中は選手の“体”だけではなく、“心”も解きほぐさなければいけない。

「治療中は大した話はしません。日常会話です。ただ、僕としたら吐き出してもらうイメージ。実際痛いのに『大丈夫ですよ』と、本当のことも言わない場合もあるので。何かあったら現場に報告が行くこともあるから“防衛本能”みたいのが働くのでしょうが、リラックスして、何もかも言ってもらえるように。それは心掛けている。そうするためには普段からのコミュニケーションが大事。もしかしたら、その能力がトレーナーにとって一番大事かもしれません」

日本シリーズで報われた瞬間が


今季、リーグ優勝時(9月24日、ZOZOマリン)にもその姿はグラウンドにあった


 試合中は祈るような気持ちだ。

「勝ち負けは当然、最重要ですけど、僕の中では無事にアクシデントが起こらずにゲームが終わることを願っています。もちろん、痛みを押して選手が頑張って、活躍してくれたらうれしい。でも、いつも無事に終わって。ホッとする感じ。何もなく終わったな、と」

 長年のトレーナー生活で最も報われたと思った瞬間の一つが2008年の日本シリーズだ。第4戦で巨人打線を完封し、第6戦ではチームを救うロングリリーフで2勝を挙げた2年目の岸孝之(現楽天)がMVPに選ばれ、ナインの手によって高く、高く、胴上げされた後だ。

「真っ先に私のところに来て、『ありがとうございます』といって握手してくれたんです。疲れや苦労がすべて吹き飛びましたね。前年、ドラフト1位で入団した岸投手は投げ方が柔らかいですし、すごい才能を持った選手が来たというイメージ。絶対に壊れないようにしなければいけない、という思いも自分の中にありましたから」

 今季もチームはソフトバンクとの最大8.5ゲーム差を逆転して優勝を果たしたが、131試合目で初めて首位に立つなど、最終盤まで体の消耗度の高い戦いが続いた。そこを乗り切れたのはトレーナー陣の力があったことは間違いない。9月24日、ZOZOマリン。リーグ優勝を果たしたグラウンドに山本らチームスタッフの姿もあった。まさに、“縁の下の力持ち”冥利に尽きる瞬間だっただろう。

(文中敬称略)

文=小林光男 写真=BBM
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