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小久保氏と井口監督、母校に帰る。黄金時代・青学大の思い出とは?

 

2000安打達成記念プレートを前に井口監督(左)、小久保氏


 母校に帰った。

 前・侍ジャパン監督の小久保裕紀氏、ロッテ井口資仁監督の2000安打達成記念プレートの除幕式が12月6日、神奈川・相模原市の青山学院大学相模原キャンパスで行われた。

 青学出身の両氏がプロで達成した2000安打達成の偉業を称え、それぞれの足跡が記された記念プレートは、同学院硬式野球部OB&OG会から大学に寄贈された。

 小久保氏と井口監督は4年−1年の関係にあたる。当時汗を流したグラウンドは綱島にあったが、それでも母校への思いは格別のものがある。

 小久保氏は「記録の裏には骨折8個所、手術8回という記録もありました。いい時期だけじゃない。苦しい時期も乗り越えた結果、こういう記念すべき1日を迎えられたと思っています。この記念プレートに恥じない人生を歩みながら、学生の皆さんには少しでも目標としていただき、青山学院大学から素晴らしい人材が社会に輩出されるような学生生活を送ってもらいたいと思います」とスピーチ。井口監督は「河原井(正雄)監督の下、素晴らしい先輩、仲間に恵まれて4年間、過ごさせてもらいました。青学の、やらされるのではなく自分から考えてやる練習が今につながっています」と母校への感謝を述べた。

 両氏が在学中の青学大は黄金時代を築いた。河原井監督の指導の下、小久保氏が4年時に主将を務めた93年には初の大学日本一を達成。その背景には、小久保主将がチームに課した猛練習があった。しかも、それは部員たちの思考や想像力を奪う練習ではなかった。「やらされる練習ではなく、自分の頭で考えてやる練習」そんな青学イズムは後輩たちに受け継がれていく。「小久保さんの練習の姿を見て“追いつき追い追い越したい”とやってきた」。当時1年生の井口監督が主将になった96年には2度目の日本一。アマチュア王座決定戦では社会人チームを下すなど「青学野球、ここにあり」を満天下に示してみせた。

 当時の戦国・東都を振り返って、小久保氏は「即戦力のドラフト候補がたくさんいた。この人たちから打てばプロに入れる、目標を身近に感じられるリーグだった」。澤崎俊和広島1位)、清水将海(ロッテ1位)、倉野信司(ダイエー4位)の同級生3人とともにドラフト指名を受けた井口監督は「いい仲間とプレーできた」と遠い目をした。

 2014年に東都大学リーグの二部に降格して以降は、浮上できぬ忍従の時代が続いている。「いまは青学といえば陸上のイメージになった」と苦笑しながら井口監督が「早く神宮でプレーする姿を見たいと思います」と後輩たちにエールを送れば、小久保氏も「後輩たちが、この記念プレートを励みにしてくれれば一層うれしい」と期待を寄せていた。

 記念プレートは、日常的に現役部員の視界に入るスタジアムの外壁に取り付けられた。先輩2人の偉業を励みに、青学大野球部復権を目指す。

文=佐藤正行 写真=高塩隆
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