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週べ60周年記念

阪神・吉田義男、退団の理由を語る/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

コーちゃんフィーバーは続く


表紙は巨人高田繁


 今回は『1970年2月9日号』。定価は70円。

 頭から近鉄の新人・太田幸司の自主トレ風景だった。
 寮の部屋番号はU。アルファベットのAからはじまり、21番目の部屋だ。近鉄の寮は、木造モルタルでジェーン台風では二階の屋根が吹き飛ばされたとか。
 在阪球団の中では、一番ボロだったという。

 通常、近鉄の自主トレと言えば、ファンはほとんどいなかったが、この日は、平日にもかかわらず午前中から100人ほどが集まった。午後2時くらいは学校帰りの小学生、女子学生でさらにすごいことになっていたらしい。

 退団を決めた阪神吉田義男の手記があった。

 吉田は村山実が兼任監督になったとき、自分はやめるべきと思ったという。先輩の意地ではなく、村山がやりやすい体制をつくるためには、自分はいないほうがいいと判断したからだ。

 だが、1回目の戸沢代表との話し合いで「選手として残って、村山を助けてくれ」と言われ、迷った。

 2回目の話し合いでは「背広を着て球団に残ってくれ」とまったく違うことを言われ、今度は驚いた。

 このとき吉田は、村山と直接話し合って真意を聞きたいと代表に頼んだが、村山は「筋ではない」と断ったという。

 3回目には、戸沢代表の口から、
「この際、君が阪神から身を引いてくれることがもっとも望ましいことに思える」
 と回りくどい退団勧告を受け、これで引退・退団を決意した。

 契約更改がほぼ終了。最高年俸は巨人・長嶋茂雄の4560万円、2位が同じく巨人・王貞治で4080万円だった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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