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週べ60周年記念

川崎球場には太田幸司はいらない?/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

板東英二は引退か


表紙は左から西鉄・稲尾和久監督、池永正明



 今回は『1969年12月22日号』。定価は70円。
 
 事前に「アトムズか巨人以外行かない」と言っていた早大・荒川堯。ドラフトでは大洋が強行指名したが、案の定、交渉が難航している。
 大洋は、なぜ拒否される可能性が高い荒川を指名したのか。

 どこまで本音かは分からないが、中部謙吉オーナーの言葉を紹介する。
「うちが三番目のくじになったとき、1番目の中日谷沢健一(早大)、2番目の阪神太田幸司(三沢高)を指名するだろうというから、じゃあ、うちは上田次朗(東海大)という話をしていた。
 そしたら阪神が上田を指名したので、荒川に行けと言ったんだ。太田じゃダメなんだ。川崎には女の子は集まらんからね。せっかく人気者を呼んでも、みすみす殺すことになる」
 当時の川崎を知る人なら「しかたねえな」と思うだろう。

 話がややこしいのは、巨人のコーチだった荒川博の存在。堯の義父だが、巨人の中では立場が微妙になり、アトムズ入りが濃厚とも言われていた。
 荒川はかつての自分と王貞治のような関係を息子と築きたいと思っていた。そのためには是が非でも同じ球団にいたい。
 アトムズはサンケイ色払拭に動き、一時は次期監督候補と言われた豊田泰光選手兼打撃コーチが退団していた。

 12月7日、三沢市で太田幸司の近鉄入団表明会見があった。
太田は、「大学に行きたかったけど、昨夜父に男なら一発やらないかん。苦しくてもプロでやってみたらどうかと言われ、決心がつきました」と話していた。

 中日の板東英二が引退しそうだ。当時としてはカムバックの可能性が低いとも言われた右ひじの軟骨除去手術もしていただけに、本人は「まあ、仕方ないやろうな」と淡々。
 副業のスポーツマッサージの会社が順調なこともあるようだ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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