昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大学だってえげつない?
今回は『1969年12月29日号』。定価は70円。
プロアマ問題というと、プロばかり汚いように言われるが、そんなことはない。
特に大学はけっこうえげつないこともした。
金額の大小からすれば、プロが悪いとなるのかもしれないが、うちに入れば……と「将来の保証」をちらつかせたら、正直、税金を使っている分、大学のほうがたちが悪い。
まあ、この企画とは関係ないか。
近鉄入りを決めた三沢高の
太田幸司。ドラフト指名後も東大、早慶、日大、東海大が争奪戦を繰り広げ、日大は1000万円の支度金を提示したとも言われた。
ただ、あまりの好条件に太田家が“引いた”。太田も「大学には行きたいけど、ひも付きは嫌」と言ったという。
トレードを言い渡された
中日・
江藤慎一だが、あらためて中日に残留を直訴。「中日に残りたい。いまさらよそのユニフォームを着たくない」と話した。
しかし事態は悪いほうに転がる。
中日は「ほかの球団にいかないというなら」と江藤を任意引退にしてしまった(他球団とは交渉できない)。
巨人、アトムズ、
ロッテ、大洋がトレードを申し込んでいたが、中日は「江藤はどこにも出さないことになりました」と断りを入れた。
前年の69年、打率.280、25本塁打、84打点。
江藤は「まだ野球をやれる。若い者にも負けない力を持っている」と泣きながら話した。
江藤は無頼派と言われたが、実はマジメな男だった。今までも監督批判をしたことがあったが、すべて下の選手に頼られたからで、そのたび何となく「江藤は下の選手のためにやったんだから仕方ない」という雰囲気にあった。
今回もそう思ったのかもしれないが、
水原茂監督はそれを「甘え」と受け取ったようだ。
前年限りで
広島のコーチを退任した
上田利治。大学時代にバッテリーを組んだ
村山実阪神監督からヘッドコーチにと誘われたが、「今の自分には阪神のヘッドを受ける自信はない」と断った。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM