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豪州で再起を期す元ヤクルト・村中恭兵の現在。「左腕に需要はある。また這い上がっていくだけ」

 

2006年、高校生ドラフト1巡目で東海大甲府高からヤクルトに入団した村中恭兵。潜在能力あふれる左腕として期待され、10年に11勝、12年に10勝を挙げるも、近年はケガにも泣かされ、19年限りで戦力外通告。しかし、村中にこのままユニフォームを脱ぐ選択肢はなかった。オーストラリアの地で再起を期す、村中の現状をリポートする。

「僕の唯一のとりえは、あきらめの悪いこと」


オーストラリアで奮闘する村中。12月19日現在、4試合に投げ、1勝0敗、防御率2.70をマーク


 ルーキーイヤーから14年過ごした東京ヤクルトスワローズからの戦力外通告をこのオフ、納得して受け入れた。

「ここ5、6年は、毎年のように戦力外を意識してきていました。もっと早く切られてもいい時期があったのに、長く仕事をさせてもらって、球団には感謝しています」

 振り返れば大半は、良い思いをさせてもらったと思う。ただ2014年の春、腰を痛めて以降、歯車が狂い始めた。15年のオープン戦で大きくコントロールを乱し、相手バッターの背中にぶつけた。バッターに対して投げる恐怖心にじわじわ、支配されていったのはそれからだ。

「投げるのが怖い」――ピッチャーとして致命的な気持ちに打ち勝つための、地道な作業が始まった。まずは5メートルの距離から、視線の先のネットをバッターとみなし、景色に慣れること。次に10メートル、15メートル。そこからは1メートルずつ、距離を伸ばしていった。投本間の距離に届いたところで、徐々に強く球を投げていった。

 それまでは「こう投げれば、このあたりにストライクが行く」という、確かな“感覚”があった。ところが同じ動きを繰り返して腰が痛むのを怖がるあまり、体の軸がズレ、リリースポイントが安定しなくなった。ストライクがまったく入らない。このときは真剣に、戦力外通告を覚悟した。そこで生き残り、翌年中継ぎで50試合を投げた。

 18年オフ、腰を手術。経過は順調に思われた。しかし、好事魔多し。腰をかばって肩に故障が広がり、復活までさらに1年を要した。19年10月1日、ヤクルトからの戦力外通告後も、復活を期しリハビリを続けた。

「僕の唯一のとりえは、あきらめの悪いこと、逆境に強いことなんですよ」と、村中は笑う。昨オフ、腰の手術に踏み切ったのは、「手術してなお投げている姿をみんなに見せたかった」ため。ストレートのスピードこそ138キロ超ではあったが、ストライクを投げる“感覚”は明らかに良くなっていた。これでスピードも、コントロールも安定してくるはずだ、と思った。そこでトライアウトを受け、NPBからのオファーがないと知るや、誘いを受けたオーストラリアン・ベースボール・リーグ(ABL)のオークランド・トゥアタラ入団に踏み切ったのだった。

「僕に必要なのは、野球に打ち込める環境だけ」


かつてはヤクルト主力左腕として勝利に貢献した(右は宮本慎也。写真=BBM)


 ABLのシーズンは、約3カ月。単身渡豪し年を越すには、家族の理解も必要だった。「行ってきていいよ」と快く送り出してくれながら、一方で「パパ、いつ帰ってくるの?」と言う6歳のわが子の言葉が、いじらしかった。

 オークランドでは、日本で独立リーグに所属する若手選手と同様、地元大学の学生寮でバス・トイレ共同の単身生活を送る。

「僕に必要なのは、野球に打ち込める環境だけ。だから、今の学生寮住まいで十分ですよ」

“豪”に入れば、郷に従え。寮のベッドが柔らかいのが悩みだったが、クッションを腰に当てるなどして工夫。いざとなったら床で寝ればいい、とまで言った。

「僕は今、まだ32歳。左投手の需要があるのは確かだから、働き場さえあれば、そこからまた這い上がっていくだけです」

 ABLで投げるのは、何より気持ちが楽だった。誰も知らない、ある意味行ってみないと分からない場所。しかし、自分をまっさらな状態で使ってくれる場所。だからこそ、ここで自分らしくしっかり投げることのできる状態を作り、それを評価され、復活したい。

「僕のピッチングの基本は、やめるまで変わらない。ストレート中心の投球で、速いストレートをいかにコントロールするか。それが通用しなくなったら、自分の生きる道はない。その中でウイニングショットは変化球かストレートか。考え方は、いつまでも変わりません」

 左投手の需要が高いのは、今もどこでも確かなこと。だから、チャレンジする。そして巡り合ったこの場所から、また道を切り拓いていく。ちょうどこのABLのオーストラリアや、オークランド・トゥアタラのニュージーランドへ、かつて新天地に希望を抱き、人々が海を渡ってきたときのように。

 ここへ来て、あらためて自分が一人ではないことを知った。応援してくれる人たち、自分を支え、マウンドに送り出してくれる人たち。多くの人のおかげで、野球ができる。その喜びと感謝の気持ちを胸に、全力で異国のマウンドに臨む。

文=前田恵 写真=www.smpimages.com,www.theabl.com.au
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