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「動」から「静」への転換。プロ13年間を生き抜いた森福允彦の「変化」/Daiki’sウォッチ

 

アマチュア時代は“熱投派”



 福岡ソフトバンクホークスで2011年に60試合、12年には65試合に登板するなど、4年連続50試合以上登板を果たし、ポストシーズンでも貴重な左のセットアッパーとして存在感を放ってきた森福允彦。2017年に読売ジャイアンツへFA移籍したが今季限りで戦力外通告を受け、現役続行を模索していたが12月24日、17年の現役生活に終止符を打つことを決めた。

 身長は170センチほど。体重も70キロ前後とプロの世界で投手では戦っていくのは難しいといわれる体のサイズで通算423試合に登板してきた。ジャイアンツ時代はケガも重なり、思うようなピッチングはできなかった。ただ、左のワンポイントとして13年のWBC日本代表にも選ばれ、一時、日本球界を代表する投手になっていたことは間違いない。森福が“頂点”に到ることができたのは「自分を変化させる」という高いスキルを持っていた投手だったからだ。

 アマチュア時代はまさに“熱投派”タイプ。高校時代、そして社会人時代の彼を知っているすべての人が口をそろえて言うのが“気持ちを前面に押し出し、厳しい局面になればなるほど相手打者に向かっていく”という印象が非常に強かったということだ。愛知県の豊川高では2年、3年と夏の県大会準優勝投手。2年時は56イニング無失点という愛工大名電高時代の工藤公康氏(現ソフトバンク監督)の大記録を塗り替える偉業だった。

 3年時は決勝で堂上剛裕(元中日ほか)率いる愛工大名電高に屈するも、まったくひるむことなかった。小さな体を目いっぱい使い、名門校に挑んでいく姿は愛知の高校野球ファンの胸を打ち、森福の熱投に次ぐ熱投は地元で大きな話題となった。ユニフォームをドロドロにしながらも、一人で絶対に投げ切ってやろう、絶対に相手打者、名門チームを抑え込んでやろうとする森福の姿はチームメートを鼓舞し、愛知No.2の実力まで押し上げたのだ。

 社会人ではシダックスでプレーすることを選択したが、同野球部の廃部が決まる中、チーム最後の先発マウンドに上がったのも森福だった。勝利への熱き魂を持つ彼は補強選手としても他チームから人気は高く、JR東日本の補強選手としてクローザーも務めてきた。アマチュア時代の森福は「静」か「動」でいうと、間違いなく「動」の投手だった。

「静」の中で打者に立ち向かう


ソフトバンク時代の森福允彦


 その森福がプロの世界に進んでからは、間合いを長く使い、セットポジションに入る前に左手をゆっくりと上げ、「静」の中で打者に向かっていくタイプに切り替えていた。

 打者を抑えた後、感情を爆発させることはあるものの、1球1球、相手の心と駆け引きしながら、嫌らしいほどに巧みにボールを操ってきた。腕を目いっぱい振る真っすぐだけに頼るのではなく、スライダーとシュートを操り、投げ分け、投球術で相手を翻弄するスタイルを確立した。

 さらに大きかったのは小さな体で、プロの世界でどう生き抜くかを考え、プロ2年目にサイドスロー転向へ向けてフォーム改造に取り組み、3年目以降、一気に登板機会を増やすことに成功したことだった。

 投球スタイルを変化させ、投球内容を変化させ、投球フォームも変化させ、プロ13年間を生き抜いた森福允彦。現役にこだわってきた情熱をこれからの人生へどう転換させるのか。まだ33歳。彼の次なる「変化」はどんなものか? 引退後もどのようにステップを踏んでいくかにも注目したい。そして、本当にお疲れ様でしたと伝えたい。

文=田中大貴 写真=BBM
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