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パンチ佐藤の漢の背中!

元“F1セブン”上坂太一郎氏[元阪神]“引きこもり”状態から不動産業の営業で活躍中!/パンチ佐藤の漢の背中!

 

阪神では元「F1セブン」の一員で、俊足と勝負強いバッティングを武器に、二塁手のレギュラーの座をつかみかけたこともあった上坂太一郎さん。今は東京・練馬区の株式会社東宝ハウス練馬に勤務し、不動産業の会社員である上坂太一郎さんの職場を、パンチ佐藤さんが訪ねた。
※『ベースボールマガジン』8月号より転載

プロ初のキャンプで“スター新庄”に衝撃!!


パンチ佐藤氏(左)、上坂太一郎氏


 享栄高校時代から、真剣にプロを目指していた。しかしそこではプロの目に留まらず、社会人・王子製紙春日井へ。当時の王子製紙春日井はまとまりのある良いチームながら、都市対抗には程遠かった。入社2年目を迎えようとするとき、チーム方針が一変。練習内容などを見直し、みるみるチーム成績が上がり始めた。翌年、都市対抗出場を獲得。それを機に、俊足巧打の上坂を見ようと、プロのスカウトがグラウンドを訪れるようになった。

パンチ プロ入りまでちょっと時間はかかったけど、まあまあ順風満帆な社会人生活だったんだね。

上坂 でも僕、3年目が終わったときに野球をやめて、競輪選手になろうと思ったことがあるんです。

パンチ それはなぜ? 3年やってダメなら、ダラダラ続けるよりもいいと思った?

上坂 そうですね。

パンチ でも踏みとどまったんだ。

上坂 はい、父に相談したとき、僕には直接何も言わなかった母が、「ここまでやってきたのだから、本当は野球を続けてほしい」と言っていたと聞きまして。父からも、「競輪にチャレンジしようという気持ちを全部野球にぶつけたら、プロに行けるんじゃないか」と言われて、なんだかスコーンッと後ろから頭を殴られたような気持ちで、「そうだな」と思い直しました。

パンチ それで、自分自身もどこか変わった?

上坂 気持ちの面で大きく変わりましたね。そのとき、「俺、来年プロに行くから」とみんなに宣言しました。

パンチ 有言実行したんだね。さて、それで阪神に入って最初のキャンプはどうだった?

上坂 衝撃的でした。僕、安芸の二軍キャンプスタートだったんですが、2人1部屋の同室が新庄(剛志)さんだったんです。

パンチ いきなり新庄を見ちゃったら、そりゃ驚くよね(笑)。

上坂 スターなんですが、やることがムチャクチャなんですよ。当時、野村(克也)監督が夕食後の8時ぐらいから、毎日1時間ほどミーティングをしていたんです。で、時間になったから新庄さんを呼びに行ったんですけど、部屋は真っ暗だし、「新庄さ〜ん!」って呼んでも答えがない。「もう行ってるのかな」と思ったら、いないし、部屋に電話しても出ない。結局ミーティングに来なかったので、あとで「新庄さん、部屋にいらっしゃいました?」と聞いたら、「いたよ」と言う。「え? 僕、呼びに行ったんですけど……」「うん、知ってるよ。でも眠たかったから寝てた」って(笑)。

パンチ それ、怒られないの。

上坂 怒られていましたよ。10万くらい罰金を払ったと思います。この人すげえ、宇宙人だと思いました。

パンチ じゃあ、技術的なところではそんなに衝撃がなかったの。

上坂 いえ、僕、自分では肩がいいと思っていて、プロでも負けないつもりで入ったんですが、新庄さんだけでなく、二軍の先輩たちも肩がすごくよくて……。僕だけ小学生みたいな送球なんです。これで僕はプロでやっていけるのかな、と思いました。

パンチ 足は大丈夫だった?

上坂 そこはなんとか行けるかな、と思いました。

パンチ それならいいよ。俺なんか、足のほうですぐダメだと思ったもん(苦笑)。そこから「なんとかやっていけそうだ」って手応えを感じ始めたのはいつ?

上坂 それが、社会人のときから少し痛みのあった肩が、良い環境のおかげか全然痛くなくなっちゃったんです。その後、一軍のシートノックを見たら、二軍の人たちほど地肩の強さがなかったんですね。捕ってからのスピードや正確性でカバーすれば、アピールできるんじゃないかと思いました。

パンチ 一軍に呼ばれたきっかけはなんだったの。

上坂 フレッシュオールスターで、結構いい成績を残したんです。ヒット2本に盗塁2個して。

パンチ 二軍のオールスターは結構、アピールの場になっているよね。イチロー(元オリックス)も金村(義明=元近鉄ほか)さんもそうでしょう。そこで打つってことは、持ってるね。

上坂 ちょうどスイッチをやり始めたころで、一軍に呼ばれてトントン拍子に結果が出てきました。

パンチ だけどチャンスがあっても、トントン行けない人もいるよ。何が違ったのかな。普段からの準備? 何かコツコツやっていた?

上坂 自分に対して昔から言い聞かせていたというか、いい意味で勘違いしていたのが、「チャンスに強い」ということ。子どものころから実際そうだったし、社会人時代もランナー二塁以上の得点圏打率は3年間トップでした。

パンチ おおっ、そうか。俺もね、足も守備もそれほどじゃないし、バッティングも、ホームランバッターではなかったんだけど、「チャンスに打つ」からってドラフト1位だったんだよ。

フテ腐れたヤツなんか僕がスカウトでも獲らない


00年に阪神に入団すると当時の岡田彰布二軍監督(右)から指導を受けた。引退時の一軍監督も岡田氏だった


パンチ さて、プロでの一番の思い出は何だろう。

上坂 2002年に札幌ドームで行われた横浜戦(8月13日)ですね。のちに中日に行ったグスマンがノーヒットで好投していて、僕が6回表に代打でセンター前を打ったのが、阪神の初安打になりました。で、次に回ってきた打席で、ファースト強襲のライト前ヒット。結局グスマンには初完投初完封を許したんですが、ヒットは僕のその2本だけでした。

パンチ 年数を重ねて、だんだん体の衰えを感じ始めていったの?

上坂 まだ20代で、体の衰えは感じなかったんですが、自分の弱さを感じたときがありました。2年目に野村監督に使ってもらえるようになって、結構試合にも出していただいたんです。ところが3年目、星野(仙一)監督に代わったところで、今岡(誠)さんが大活躍して、出られなくなってしまいまして。そのくらいからちょっと、気持ちが腐り始めてきました。

パンチ でも、一軍にはいたんでしょう? その今岡との差は、どんなふうに感じていた?

上坂 足でカバーできる部分もあって、最初は何とかなるかなと思っていました。でも今岡さん、そんなことで対抗できないくらいに打ちましたから……。

パンチ そこから気持ちは戻ってこなかったんだ。

上坂 見栄って怖いです。そこからもう一度奮起して「よっしゃー!」とやらなければいけなかったのに、そうはなれませんでした。本当にもったいないことをしたな、と思います。

パンチ 俺は5年間しかやっていないけど、俺も結構そういうタイプだったんだよ。人には言えないんだけどさ、そこでもがき苦しんで一生懸命やったら、必ず他球団の誰かが見ているんだよ。それは、終わってから気付いた。「ちぇっ」ってならずに、ガッツを見せていたら、「あの選手、ウチに欲しいね」ってなるんだよね。

上坂 はい。僕がもし今スカウトの立場だったら、そういうやる気がある選手を獲ると思います。

パンチ ギラギラしているヤツね。

上坂 僕みたいにフテ腐れているヤツはいらないですよね(苦笑)。だから、どこも獲る球団がなかったんだ、なるべくしてなったんだということは、終わってから気付きました。トライアウトも受けたんですが、そんなに甘くなかったですね。その後の7年間は、壮絶でした。

 野球界から離れた上坂さんが最初に目指したのは、プロゴルファーだった。ティーチングプロのもと、1日8時間超の猛練習で、スコアは伸びた。しかしプロ野球と違って、遠征費や宿泊費がすべて自腹になる。トーナメントに出場するたび、貯金はどんどん消えていった。

 ゴルフ活動費を捻出しようと、知人の不動産屋と共同経営で飲食店を始めたのも、誤算だった。裏切られたと分かって店を手放し、再びゴルフに集中した。だが5年やっても、一向に芽は出なかった。やがて資金も尽き、ゴルフをやめ、実家に戻った。何もする気にはなれなかった。

 それから約2年、「引きこもりのような状態」(上坂さん)が続いた。

息子の「お父さん、なんで仕事しないの?」のひと言で……


00年7月17日、巨人戦(甲子園)でサヨナラ安打を放った際の上坂氏(右は矢野現監督


パンチ そんな大変な状態から、道を踏み外さず、そのまま引きこもらず、グッと踏ん張ってやり直せたのは何があったからだと思う?

上坂 僕は、周りの人のおかげだと思っています。そのとき近くにいてくれた人たちが、僕の性格をよく理解していて、黙って見守ってくれたから、悪い方向に行かずに済んだんじゃないか、と。

パンチ 実家のお母さんも、そのとき黙って見てくれていたんだ?

上坂 心配そうな顔はしていましたけど、言ったところで……というのがたぶんあったんじゃないですかね。普通だったら、「そんなんじゃダメだよ」とかいろいろ言いそうですけど、そんなのは本人が一番分かっていると思ってくれたんじゃないでしょうか。

パンチ そこからもう一度仕事を頑張ろうと思えたきっかけは?

上坂 息子が「お父さん、なんで仕事しないの?」と言ったそうなんです。それを聞いて、「そうだ、息子にこんな姿を見せられない、何かやらなくちゃダメだ」と思いました。

パンチ 家族のひと言で、常にスイッチが入ったんだね。それがなぜ、東京の不動産屋さんにつながったの?

上坂 たまたま「東京にゴルフしにおいでよ」と誘われて行ったところに、この東宝ハウスグループの社長がいたんです。そこで「今、不動産ってどうなんですか?」という話をして。

パンチ イヤな過去があって、不動産屋さんは嫌いだったのに……(笑)。

上坂 嫌いだけど、不動産には興味があったみたいで、聞いているうちに社長がものすごく熱く会社の話をするので、「あれ? 同じ不動産屋でも、僕が思っていたのと違うぞ」と思いまして。

パンチ その社長の熱い言葉って覚えている?

上坂 はい。今ウチの会社は一般住宅販売を仲介していまして、その仲介手数料で成り立っているんですね。家のご案内をして住宅ローンの内定を取って、ご契約してお引き渡しをして、そこで仲介手数料をいただいて、本来は終わりなんです。そうではなく、例えばお客様が35年ローンを組んでいく、その35年間のサポートをしていきましょうという取り組みをしている。そのサポートによって、お客様が何百万という資産を将来に残せるお手伝いができれば、お互いウィン・ウィンの関係が作れて、幸せになれるという話を聞いて、「本当にそんなことができるんだったらすごいな」と思いましたね。そんな不動産屋なら、僕も仕事をしてみたい。「ウソならすぐやめてやる」と思いながら、入社しました。

パンチ 最初はどんな仕事から入ったの。

上坂 「物件をいろいろ見ておいで」と言われたんですが、正直、何も分からなかったです。

パンチ 「物件を見ておいで」と言っても、何をどう見るのかね?

上坂 そうなんですよ。とりあえず見ても、何も分からず……。

パンチ 「駅から7分ってホントかな?」とか?(笑)

上坂 いえ、そういうのは抜きで、どこにどんな物件が出ているかを把握するために、ひたすら見るんです。野球でいうと、素振りみたいなものですね。要はいくつもの物件を見て、その家の持ついろいろな顔を比較できるようになれということ。不動産にはいい物件もあれば、正直微妙な物件もあります。そして、それに見合った価格がそれぞれの物件にあるわけですね。安ければ安いなりに何か欠点があるし、相場どおりであれば、それなりにバランスが取れている。物件を目で見て、価格を見て、と何件も繰り返していると、だんだんそういった家の“顔”が分かるようになってくるんです。

息子には中途半端にならず一流を目指してほしい


パンチ 自信を持って分かってきたのはいつごろ?

上坂 2年くらいはかかったと思います。だけど結局、僕らの仕事って、お客様にご紹介できる物件はどこの仲介業者でもほとんど同じものなんです。じゃあ何が違うかというと、担当する営業マンなんですね。お客様はそこを見るんです。何千万もする買い物を、この人からはしたくない、とか。

パンチ そうだね。車だってそうだもの。

上坂「この営業マンから買いたい」と言われるには、やはりそれなりに人間磨きをしていかなければなりません。僕は最初、そこを磨いていくのにやはり1年くらいかかりました。

パンチ なんの仕事でもそうだと思うけど、そこに気付いたのは、大したもんだよ。

上坂 人とのつながりというか。結局自分一人でやれることなんて大してないじゃないですか。家を買いたいお客さんがいて、僕らがそれを手伝わせていただいて、成り立っている仕事。そこはいつも、感謝しています。僕は自分で決めた目標があるんです。自分は野球が終わってから、いろいろな経験をし、いろいろな思いを味わってきたので、これからは「上坂に出会えてよかった」と一人でも多くの人が思ってくれる人生にしようと思って、この仕事をしています。そこでいつも考えるのが、「自分の家族に対して、この物件を勧めるかな」ということ。自分の家族にも、「絶対これにしたほうがいいよ」と言える営業をしていこうと思ってやっていて、結果的にそこがお客様に受け入れていただいているのかなと思っています。

パンチ この仕事を始めてからの初ヒットはいつ?

上坂 初契約でしょうか。ただ、そのときはまだ一人前になっていなくて、僕が物件をご案内して、店にお連れして来たら、当時次長だった今の社長が引き継いで、気が付いたら契約していたという感じだったので……(笑)。でも周りの人がみんな喜んでくれたのが、僕の中ではとてもうれしかったですね。

パンチ じゃあ一番うれしかったホームランは?

上坂 ホームランも打ったことはあると思いますが……。それより、「この会社に入って良かった」と思えたことがあったんです。お客様のお話をうかがって、その家を買うより買わないほうがお客様は幸せになれると思いますと言って、こちらからお断りしたんですね。お客様自身も「分かりました、ありがとうございました」と納得して帰られた。僕、そこでウチの社長に付いていこうと思いましたね。お客様ファーストで、とても熱い気持ちを持っているんです。

パンチ いい出会いをしたね。俺もね、上坂君ほどではないけど落ち込んだり、カベに当たったりすると、必ず旗を振って「こっちに来いよ」って言ってくれる人がいるんだ。お互いツイている人生なんだよね。なんでかな。やっぱりウソをついていないからかな。人を騙していない。

上坂 僕、ウソをついたり人を騙したりするのは大嫌いですもん。

パンチ だから、そういう人のところにはそういう人が集まるんだよ。

上坂“類友”の法則ですね。

パンチ これからの目標や夢は?

上坂 息子の成長を応援することです。今年高1になって、三重の津田学園に行ったんですが、バッティングが僕よりいいんですよ。

パンチ だれタイプ?

上坂 パンチさんかもしれない(笑)。左で、超積極的です。僕が中途半端になっちゃったところがあるので、一流選手を目指してくれと言っています。

パンチの取材後記


 上坂君の会社が家を売るだけでなく、その後のサポートもして、お客さんとウィン・ウィンの関係を築いていくんだという話を聞いて、ふと2018年2月号に登場してくれた宇佐美康広君の話を思い出しました。新しいグラブを買いに来た子がいても、「このグラブはまだ直せば使えるよ」と言って、古いグラブを修理してピカピカにしてあげる。

 売ることがすべてではなく、売ったら売りっぱなしではない、そういう素晴らしい姿勢はすべての仕事につながっているんだな、そういう仕事をしたいなと思いましたね。

 それから、もう一つ思い出したのは、熊谷組時代の先輩の言葉。

「『この建物は熊谷組さんに任せた』と言われるようでは二流、三流。『この建物は佐藤君に任せた』と言ってもらってこそ本物の営業マンだ」と。上坂君はそう言われているんだから、本物ですね。ウソをつかず、胸を張って真面目に生きている人間のことはお天道様が必ず見ているんだ。上坂君の話を聞いて、そう感じました。

●上坂太一郎(かみさか・たいちろう)
1977年4月14日生まれ、愛知県出身。享栄高から王子製紙春日井を経て、ドラフト5位で2000年阪神に入団。俊足の外野手、二塁手として2年目の01年には89試合に出場、ヤクルト戦でのサヨナラ本塁打や巨人戦でのサヨナラ安打など勝負強い打撃も披露した。07年限りで現役引退、NPB通算成績は243試合、141安打(打率.248)、7本塁打、37打点、15盗塁。現在は「株式会社東宝ハウス練馬」の営業2課主任。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明
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