週刊ベースボールONLINE

伊原春樹コラム

坂本勇人は“持っている”男。最終的には“張本超え”を!/伊原春樹コラム

 

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2019年11月号では巨人坂本勇人に関してつづってもらった。

プロ初打席で見せた勝負強いバッティング


昨季、主将としてチームを引っ張り、5年ぶりにチームを優勝に導いた坂本


 昨季、原辰徳監督が復帰した巨人が5年ぶりの優勝を飾ったが、その原動力となったのが坂本勇人だ。2015年にキャプテンとなってから初めて頂点に立っただけに、喜びもひとしおだろうと思う。143試合に出場して打率.312、40本塁打、94打点とキャリアハイと言える成績を残した。打順は主に二番を務めたが、勇人は苦もなくこなした。それも当然だろう。二番と言えども、バントを命じられることはない。昨今、流行している攻撃型二番としてチャンス拡大を担う役割を全うした。

 勇人は経験も豊富だ。これまでもチーム状況によって一番を打ったり、三番を打ったりしてきた。昨季も岡本和真が不調の際には四番に座った。どの打順であろうと、状況に応じて自分のバッティングをすることに変わりない。自らの役割を的確に察知し、確実に遂行してくれる。監督にとって、これほど使い勝手のいい選手はいないだろう。

 勇人は原監督2期目の07年、光星学院高(現・八戸学院光星高)から高校生ドラフト1巡目で巨人に入団。私もこの年から巨人ヘッドコーチに就任したからいわば“同期”だ。以前もこの連載で記したが1年目、勇人で強く印象に残っているのは初安打だ。高卒1年目、勇人は開幕からファーム暮らしで二軍の試合に出続けていた。7月に代走で一軍初出場したが、シーズン終盤再び一軍へ。9月2日の横浜戦(横浜)で「八番・遊撃手」で初めて先発出場、初打席も経験していた。

 そして迎えた6日、優勝争いをしていた中日戦(ナゴヤドーム)は同点のまま延長へ。12回表、二死満塁の場面で投手の上原浩治に打席が回ってきた。ここで代打として打席に向かったのが勇人だった。どんなバッティングをするのか、私も注目していたがガシャンと詰まりながらもセンター前へ打球を運んだ。これが決勝打となったわけだが、こんな緊迫した場面で結果を残した背番号61を見て、「何かを持っているな」と強く感心したことを思い出す。

 2年目、春季キャンプで一軍に抜擢。まだ打撃に力強さはなかったがソコソコ打ち、守備もポロポロするわけでもなく無難にこなしていた。印象としてはソツなくプレーする。何か“すごい”という特別に光るものはそこまで感じられなかった。例えば私が見てきた中では西武清原和博はもちろん1年目から高卒新人とは思えない打撃を見せ、“怪物性”を感じさせた。同じショートの田辺徳雄にしても強肩と力強い打撃には“すごい”と思わせるものがあった。

原監督からの叱責に動じることなく


2007年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)、延長12回表、代打でプロ初安打


 2年目、開幕一軍に残った勇人。開幕を控えたある日、私は原監督とスタメンに関して話し合いを行っていた。当時、木村拓也や外国人のゴンザレスはいたが、セカンドだけはレギュラーが定まっていなかった。すると、原監督がいきなり「セカンドは坂本で行きましょう」と言い始めた。私は焦った。なぜなら、勇人はセカンドでノックすら受けたことがなかったからだ。

 セカンドは付け焼刃でできるポジションではない。ゲッツーの際、ランナーからのスライディングを受けてケガを負ってしまう可能性もある。「待ってください。危険ですよ」と言ったが、原監督は腹を決めて勇人に託すことを譲らない。監督が決めたことに、それ以上、反論することもできないから最終的に了承したが正直、私は開幕のヤクルト戦(3月28日、神宮)でセカンドの守備位置に就いている勇人に対して「変なことが起こるなよ」と祈る気持ちで見ていた。

 それが試合中にショートで出場していた二岡智宏が右ふくらはぎを肉離れし、途中でベンチに退いた。そして、勇人がショートへ。二岡には悪いが、心の中で「良かった」と私は安どした。そこから勇人はショートのレギュラーをつかんだ。もし、二岡が離脱することなく、勇人はそのままセカンドとして出続けていたらどうだったか。もしかしたら、恐れていた事態が起こってしまったかもしれない。そういう意味でも勇人は“持っている”男のような気がする。

 勇人の初本塁打も覚えている。2年目の4月6日阪神戦(東京ドーム)だ。5回無死満塁で阿部健太から放った一発。初本塁打が満塁弾というのは巨人では駒田徳広以来だったという。さらに19歳3カ月での満塁弾もセ・リーグで最年少記録となっている。そういう意味でも“持っている”といえるだろう。この年、中西太(西鉄)、清原和博(西武)以来の10代での全試合出場を達成。高卒2年目で打率.257、8本塁打、43打点は十分すぎる成績だった。

 ただ、“持っている”と思わせる芸当ができるのも、やはり精神面の強さがあるからだろう。これも以前、書いたことがあるが、それを強く感じたプレーがある。2年目、勇人は東京ドームで行われたある試合でショートゴロを処理した際、ファーストへフニャフニャとした緩いスローイングをした。それを見ていた原監督は勇人がベンチに戻ってくるなり、「なんだ! へなちょこボールを投げて!!」と叱責した。

 それでも悪びれた表情を見せることがなかった勇人だが、次の回、またショートへゴロが飛んできた。そのとき捕球して、ファーストへの送球がすごかった。目いっぱい力を入れて投げたが、ボールはファーストのはるか頭上への大暴投。私はそれを見て原監督の隣で「やるなあ」と感心したものだ。原監督に強い口調で注意され、シュンとなるのではなく、勇人の心の中には「ナニクソ!」という反骨芯が芽生えたのだろう。結果的に力が入り過ぎて暴投になってしまったが、こういったことはなかなかできないことであるのは間違いない。本当に精神的に強い選手なのだと思ったものだ。

経験を重ねて打撃で年々レベルアップ


 19歳から経験を重ね、勇人は高いレベルで進化を果たしてきた。まず、勇人の内角打ちはなかなかマネできるものではない。動体視力もいいのだろう。一瞬を逃さず、きっちり両ヒジを折り畳んで、クルッと回転してとらえる。そのセンスは抜群だ。その反面、割と外角のストライクからボールになる変化球には弱く空振りすることが多く、外角球をとらえたとしてもピヨヨンと、弱々しい打球で凡フライにしかならなかった印象だ。

 しかし、それもいつしか克服。きちんとボールを引き付けて打つようになり、しっかりととらえて、強い打球が右方向にも飛ぶようになってきた。2016年には首位打者を獲得。昨季も本塁打王争いをするなど、ここにきて長打力もアップしてきた。

 通算では1884安打をマーク。来年中にも2000安打を達成して名球会入りも果たしそうだ。まだ、今年で32歳。勇人にとって2000安打は通過点であるだろう。張本勲(東映ほか)さんの持つ日本球界最高の通算3085安打超えも視界に入ってくる。張本さんは左打者で、時にセーフティーバントを決めて安打を稼いできた。だが、勇人は右打者だ。左打者に比べて内野安打を望めない中で、これだけの安打数を記録してきていることはすごいことだ。

 だからこそ、今後は練習のやり過ぎには注意してほしい。これまでも実力的にはもっと成績を残してもおかしくなかったにも年齢を重ねても練習のやりすぎで体を痛め、ユニフォームを脱いだ選手がいた。勇人も練習熱心で、キャンプなどでもいつまでもバットを振っているタイプだ。しかし、30歳も超えたいま、これからは自分の体調と相談しながら、練習で無理をしないようにしてほしい。練習をしないと不安になるかもしれないが、勇人ほどの選手になれば十分に技術でカバーできるはずだ。“張本超え”を果たすためにも、くれぐれも体のケアを怠ることなく、野球人生を歩んでいってほしい。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング