MLBでは2020年シーズンから「投手は打者3人と対戦するか、イニング終了まで投げること」がルールで定められた。そのため、特定の打者を打ち取るためだけに投手を登板させる「ワンポイントリリーフ」が不可能になった。
NPBでも2020年シーズン終了後に検討するとしており、もし採用された場合は、日本でもワンポイントリリーフが消滅することになる。ただ、ワンポイントリリーフは重要な存在だ。過去にはこの役割に徹した職人たちが数多く存在し、プロ野球界を盛り上げてきた。そこで今回は、かつて活躍した「ワンポイントリリーフの猛者」を紹介する。
強打者たちを手玉に取った職人たち
●ワンポイントリリーフの先駆け
永射保(
広島⇒太平洋・クラウン・西武⇒横浜⇒ダイエー)
ワンポイントリリーフの猛者として、永射保の名を挙げないわけにはいかないだろう。1972年に広島に入団した永射は、トレードで入団した太平洋でリリーフとして開眼。左のアンダースローから放たれるボールは左打者に対して効果抜群で、1980年代に入ってからは
レロン・リーなど左の強打者に対して主にワンポイントで起用された。並み居る強打者を打ち取り、「左打者キラー」の異名まで付けられた。
●あのゴジラを完全沈黙させた男
遠山奬志(阪神⇒
ロッテ⇒阪神)
1997年限りでロッテを戦力外になり、阪神に出戻った遠山奬志は、1999年に監督に就任した
野村克也の指示でフォームをサイドスローに変更。同時に
シュートを習得することになった。これをきっかけに遠山は左打者に対して有効な投球ができるようになり、主に左のワンポイントリリーフとして活躍した。特に相性がよかったのが、球界最高のスラッガーとして君臨していた
巨人の
松井秀喜。13度対戦してなんとノーヒットと完全に抑え切り、ゴジラキラーと呼ばれるようになった。
●右のワンポイントリリーバー
木塚敦志(横浜・
DeNA)
珍しい「対右打者のワンポイントリリーフ」だったのが、横浜で活躍した木塚敦志だ。2000年にドラフト2位で横浜に入団した木塚は、プロ1年目から抑えに定着。翌年以降は中継ぎでチームを支え続けた。2007年になると、通常のリリーフ登板だけでなく、右打者への切り札としてワンポイント起用も増加。この年は球団史上最多の76試合に登板したが、このうち33試合が一人の打者との対戦だった。
●相手に嫌われるほど抑え続けた阿部キラー
小林正人(中日)
2019年シーズンで引退した巨人の
阿部慎之助は、通算打率.284、通算406本塁打の球史に残る打者の一人だった。そんな阿部をワンポイントリリーフで徹底的に封じ込めたのが、中日の中継ぎとして活躍した小林正人。通算で27打席4安打と完璧に押さえ込み、阿部をして「顔を見たくない」とまで言わしめた。阿部だけでなくその他の左打者に対しても優秀だった小林は、ワンポイントリリーフをするにあたり、永射保の投球フォームを徹底的に研究したという。
現役ではワンポイントリリーバーはわずか……
現役でワンポイントリリーフとしての起用が目立つといえば、まずは
ソフトバンクの
嘉弥真新也だ。2012年ドラフト5位で入団した嘉弥真は、プロ2年目に中継ぎとして40試合に登板。中継ぎに定着するが、2016年に不振に陥ったことでフォームをサイドスローに変更。これが功を奏し、再び中継ぎとして輝かしい活躍を見せることになった。ワンポイントリリーフとしての起用も増え、2019年シーズンも左の強打者を打ち取り、チームの日本一に貢献した。
また、西武で中継ぎの一角を務める
小川龍也も、2019年にワンポイント起用が多かった選手だ。2018年にトレードで加入した小川は自身最多の55試合に登板。4勝1敗15ホールド1セーブを記録し、チームのリーグ優勝に貢献した。
NPBでもMLBと同じルールが採用されるかは分からないが、ワンポイントリリーフは試合を盛り上げる大事な要素。確かに、MLBを参考にルールを変え、少しずつ日米でルールの差異をなくしていくことも重要だ。しかし、日本ならではの要素を残し、大切にすることも忘れてはならないだろう。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM