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次世代へとつながれた「人間力野球」。“紫紺の血”が流れる明大新監督の野球人生

 

前監督から全幅の信頼を受けて


今年1月から明大を率いる田中武宏新監督は6日、初日の練習後に決意を語った(写真左から清水風馬副将、入江大生副将、田中新監督、公家響主将、市岡奏馬副将)


「人間力野球」は次世代へとつながれた。

 2008年から明大を12年間指揮した善波達也前監督が昨年12月末限りで退任。新監督には11年4月からコーチとして支えてきた田中武宏氏(58歳)が就任した。

 善波前監督が次期監督に打診したところ、田中氏は「自分にはできません」と一度は固辞した。筋を通したい事情があったという。

「私は善波に呼ばれてきたので、監督が退任するのであれば、私も辞めます」

 しかし、善波前監督は譲らない。最後の口説き文句は「あなたがやってくれたら、絶対に強くなります!!」。田中氏は善波前監督の1学年先輩であるが「善波は気遣いができる人間。ベンチにいても戦術などにおいて『こうしたほうがいい』と思うことは一度もなかった。私自身、学ぶことはたくさんあった。今に生きている」と、後輩をリスペクトする。前指揮官からの熱きメッセージに、腹は決まった。

 なぜ、善波前監督が田中新監督に全幅の信頼を寄せていたのか? 球歴を振り返れば、その人柄を理解できる。

 兵庫の県立校・舞子高出身。当時4期生の新設校で田中新監督は「四番・中堅」として3年夏の県大会4強へ進出している。卒業後は地元・関西の名門大学でのプレーを希望。セレクションに参加したものの、良い返事をもらえなかった。そこで、東京六大学に志望校を切り替えた。明大、法大、早大、慶大の練習を見学。リーグ戦メンバーも見渡すと「明治は無名の選手でも使っている」と、甲子園経験のない自らの立場を見据えた上で、明大一本に照準を定めた。受験可能な文系の学部、すべての入試に挑戦し、文学部に合格した。当時、明大野球部を率いていたのは「御大(おんたい)」と親しまれた島岡吉郎元監督。応援団出身というキャリアも影響してか、地道に努力する部員に対しては、高校時代の実績に関係なく、平等にチャンスを与えていた。

 田中氏の武器は足。50メートル走は6秒を切り、100メートル走11秒、ベース1周13秒47のスプリント力があった。1学年後輩の広澤克実氏(元ヤクルトほか)は「プロでやってきた中でも3本の指に入る」と、ヤクルト・飯田哲也阪神新庄剛志に匹敵するスピードだった。

 1年夏。Aチーム(一軍)が遠征に出ている間、調布にあった旧グラウンドでは居残り組による紺白戦(こんぱくせん。明大で言う紅白戦)が行われた。「人数合わせでした」と明かす限られた出場機会を、田中氏は見事につかむ。走塁と外野守備で猛アピール。すぐに、島岡御大に報告され、一芸に長けた選手を好むことから、1年秋からベンチ入りを遂げた。

 3年春からレギュラーで4年時には副将。黄金時代を築いていた明大において、田中氏はノンキャリアからのたたき上げ。御大の教え「人間力野球」を全うした4年間だった。

伝統と革新の共存


 社会人野球・日産自動車では8年間プレーし、補強選手を2回を含め、8年連続で都市対抗出場。2度の優勝(うち1回は日本石油の補強選手)を経験し、同社の監督候補でもあったが、家庭の事情もあり、地元・大阪に戻って社業に専念。1998年からは休部となる2009年まで臨時コーチとして、キャンプや大会期間限定で同社を指導した。都市対抗と日本選手権優勝に貢献し、指導力高さを証明。この間も1学年後輩の善波前監督とは親交があり、2009年には沼津キャンプをサポート。そして、善波前監督は「力になってほしい」とコーチ就任の運びとなった。

 勤務地は大阪のため、指導は土、日、祝日に限定されたが、リーグ戦が平日にもつれた場合も、職場の理解があり、神宮で戦うことができた。大阪と東京を往復する9年間を過ごした。善波前監督は「島岡さんの指導を受けた人間が(監督に)なってほしい」と、後任指揮官に求めるたっての願いであった。

 田中氏の長男・勇次(現JR西日本)は明大で主将を務め、まさにスクールカラーである紫紺の血が流れている。「人間力野球を前面に出す。誰が監督をやっても変わらない」。メイジの歴史を継承する新指揮官だが「数年間、同じリズムだと飽きる部分もある。寮の中のルール、練習時間、トレーニング方法ら、私たちの仕事は環境づくり。良いところは伸ばして、悪い部分は変えていく。神宮の舞台に立つまでを指導していきたい」と、柔軟性を持って伝統と革新の共存を目指していく。

「島岡野球」を継承する一環として、助監督には田中新監督の3学年下に当たる、戸塚俊美氏(昨秋まで東京六大学野球連盟の審判員)が2月1日に就任予定だ。2人は野球部の活動拠点である内海・島岡ボールパーク内の島岡寮で部員とともに寝食をともにする。

あるべき姿を理解する選手


 現役学生は明大野球部員としてのあるべき姿を十分、理解している。旧チームはエース兼主将・森下暢仁広島1位)を軸に、昨春はリーグ優勝と大学日本一を遂げたが、秋は一転、5位に沈んだ。新主将・公家響主将(4年・横浜高)は「野球だけをしているのはダメ。私生活がしっかりできた上で、野球に取り組むことが大事。安定した日常生活が野球につながる」と、決意を表明した。1月6日の記者会見には、副将3人も同席している。

「高校時代から『人間力野球』の指導を受けてきました。1人の野球人ではなく、1人の人間として私生活をしっかりすれば、プレーにつながる。年賀状に『監督を男にします』と書きました。難しいことは言いません。それだけです」(入江大生、4年・作新学院高)

「野球は、目に見えない力が出るものです。地盤をしっかりして、行動で示せるように幹部が率先して、良いチームを作っていきたい」(市岡奏馬、4年・龍谷大平安高)

「野球の技術だけではなくて、私生活を強く意識していけば、自ずと結果もついてくる。今年のチームにスター選手はいませんが、昨年以上に4年生のまとまりがある。取り柄である声と練習の姿勢で主将を支えていきたい」(清水風馬、4年・常総学院高)

 練習初日(1月6日)、ポール間走30本では全員が設定タイムをクリア。また、田中監督が言い出そうとしていたその矢先、主将・公家の指示によりマスクを着用。学生の自覚ある体調管理に田中監督は「頼もしく映った」とニンマリ。昭和、平成、令和とつながる「人間力野球」が、明大の永遠の原点だ。田中氏は単身赴任で、母校にすべてを捧げていく。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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