シダックス出身者が指導者として活躍
配布された資料を見て、目が点になった。2006年限りで廃部となった社会人・シダックス野球部出身者は現在、高校、大学、社会人、プロ球界で指導者として活躍の場を広げている。
【NPB】
武田勝(日本ハムコーチ)
【社会人】
吉井憲治(セガサミーコーチ)
藤澤英雄(日本製鉄鹿島コーチ)
杉本忠(サウザンリーフ市原コーチ)
恩田淳(サウザンリーフ市原コーチ)
松岡淳(関メディベースボール学院コーチ)
【大学】
坂田精二郎(立正大監督)
津野裕幸(桜美林大監督)
【高校】
相馬幸樹(中央学院高監督)
黒坂洋介(昌平高監督)
座主隼人(昌平高コーチ)
米沢貴光(関東一高監督)
田中善則(昭和一学園高監督)
田口聖記(帝京大可児高監督)
宮崎武幸(名古屋市立工高監督)
戸波良太(柳ケ浦高副部長兼コーチ)
このほかにもボーイズなど少年野球、野球塾経営など、多数の同社野球部OBが「野球普及」に大きく貢献している。
1月25日、東京都内でシダックス野球部OB会が行われた。同社の志太勤最高顧問(元総監督)、野村克也氏(元監督)、野球部OB、後援会、当時のチアリーダーら50人が出席。
野村氏は2003年から05年まで指揮し、03年の都市対抗では準優勝に導いている。06年、
楽天監督への就任を機にチームを離れた。
「(志太総監督には)すぐ戻ってくるから、やっていてくれ、と言っていたが、すぐにやめてしまった……」。愛着あるチームが歴史に幕を閉じ、喪失感に包まれたという。現在ではNPB経験者がアマ球界で指揮するのも珍しくないが、当時は野村氏ほどの“超大物”が社会人チームを率いるのは画期的だった。
「1を教えて9を気付かせる」
「これは、良い経験になっている」
野村氏の野球人生にとって、宝物のような3年間だった。2011年にシダックス野球部OB会が立ち上がり、野村氏は毎年、この時期に行われる会合に出席するのが楽しみだという。
冒頭にある「指導者リスト」を目にした野村氏はニンマリである。
「オレの教えを引き継いでくれているのはうれしい。人は人を残すのが仕事だから……」
ノムさん節がどんどん、飛び出してくる。
「指導者の役割は(選手を)見つける、育てる、生かす。育てることは簡単なことではない。野球は適材適所だから……。愛なくして、人は育たない。(指導者は)どうしても自分の欲が先行してしまう。チームのため、選手のために考えることが大事」
今季から日本ハム一軍投手コーチ(ブルペン担当)に就任する武田勝氏にも浸透している。
「1を教えて9を気付かせる」
武田氏は在籍5年のうち、野村氏から指導を受けた3年間は「NPBのきっかけを作ってくれた場所」と、感謝を忘れない。常に野村氏の著書を持ち歩き「一人でも多く、人を残せるように指導したい」と語るが「それだけではいけない。自分のカラーも出していかないと。『シダックス野球部』という名を忘れられないように、広げていくのも使命だと思います」と、指導者としての自覚を口にした。
シダックスの正捕手として、最も野村氏から教えを受けた立正大・坂田精二郎監督は「根拠のないリードはするな。先々を読んで、さい配するように。行き当たりばったりではダメ」と、指揮官としてのイロハも学んだ。「私にとって野村監督は指導の原点。伝道師として、つないでいかないといけない」。昭和、平成とプロ、社会人で一時代を築いた「野村イズム」は、令和へと継承されているのだ。
昨季限りで
ソフトバンク・
森福允彦が引退し、同社出身のNPB現役選手は不在となった。社会人において現役でプレーするのは、コーチ兼任の2人(WEEDしらおい・桐木孝司、ヤマハ・佐藤二朗)のみである。
すでに、野球界から離れたOBもいる。ある出席者は「野球の教えは、ビジネスに通じる。若い人に引き継いでいきたい」と力を込めた。野村氏からの言葉は、すべて「人生訓」となっている。教え子たちの成長を見届ける野村氏は、心の底からうれしそうだった。
野球部OB会の締めは、お馴染みの「志太の3拍子」である。
「パパパン! パパパン! パパパン! パン!(ひと呼吸置いて)ヨイショ! パン!」
大きな拍手を背に、野村氏は家路についた。強さの象徴でもあった、赤いユニフォームを着た者にしか分からないシダックスの「絆」。すでにチームは消滅してしまっているが、OBには野村監督を囲み、帰る場所がある。また来年、旧交を温める日が待ち遠しい――。
文=岡本朋祐 写真=BBM