週刊ベースボールONLINE

HOT TOPIC

思い切ったフォーム変更が功を奏した選手は?

 


 2020年1月31日に、「日本ハム斎藤佑樹がサイドスロー転向を首脳陣に直訴した」というニュースが報じられた。結局サイドスローには変更しないことになったそうだが、過去にはフォーム変更が功を奏した選手も多くいる。例えば、90年代前半の巨人で活躍した斎藤雅樹は、プロ1年目にサイドスローに変更したことで大成した選手。今回は、こうしたフォーム変更が成功した選手を紹介する。

現役ではホールド記録保持者がサイド転向経験あり



 ソフトバンクの嘉弥真新也は、プロ2年目の2013年に一軍に定着するも、その後は3年連続でチームの期待に応えられないシーズンが続いた。2016年の秋季キャンプでサイドスローに転向すると、これが功を奏し翌2017年は自己最多の56試合に登板。防御率2.76と別人のような活躍を見せた。以降も中継ぎの柱として登板を重ね、チームに欠かせない選手に成長。2019年はWBSCプレミア12の日本代表にも選ばれている。

 2019年シーズンに自己最多の55試合に登板した西武小川龍也も、サイドスローへのフォーム変更が転機となった選手だ。2009年に中日に入団した小川は、2015年までの6年間で12回しか一軍で登板機会がなかった。しかし、2015年オフにサイドスローに変えたことで投球が安定。翌2016年は44試合と大幅に出場機会を増やした。2017年は調子を落とすが、2018年に西武に移籍すると再び安定したピッチングで中継ぎ陣を支え、リーグ優勝にも貢献した。

 日本ハムの宮西尚生は、大学2年生まではサイドスローだったが、3年時に球速アップのためにオーバースローに変更。しかし、それが原因でフォームが不安定になってしまった。そこで日本ハム入団後の春季キャンプで、厚澤和幸投手コーチの指導でサイドスローに戻すことに。これが功を奏して再び元の力を取り戻し、見事に開幕一軍を勝ち取った。その後、宮西はホールドとホールドポイントのNPB記録を打ち立てる現役最高のサイドスローに成長した。

あのワンポイントリリーフのレジェンドも


 すでに引退した選手では、ソフトバンクや巨人でプレーした森福允彦も、サイドスローにフォーム変更したことで大きく成長した選手。プロ1年目から一軍で起用されるも、なかなか定着することができなかった。しかし、2年目の2008年オフにサイドスローにフォームを変更すると、少しずつ投球が安定。2009年は13試合、2010年は36試合と順調に登板数も増加。2011年は60試合で防御率1.13と抜群の成績を残し、中継ぎ、抑えの両方で活躍した。

 2000年代前半の阪神中継ぎ陣を支えた吉野誠も、フォームを変更が功を奏した選手だ。1999年ドラフトで阪神に入団した吉野は、2002年にサイドスローに転向し、35試合に登板して防御率1.33と安定した投球を披露。この活躍が評価されて中継ぎに定着し、翌2003年はチーム最多の56試合に登板と大幅に登板回数を増やした。

 往年のレジェンドでは、南海黄金時代の大エース・皆川睦雄もフォームを変更したことでさらなる飛躍を遂げた選手だ。1954年に野村克也と同期入団した皆川は、入団から2年間は勝ち星が挙げられず、3年目の1956年にようやく11勝を挙げるも、肩の故障に見舞われてしまう。そこでオーバースローからアンダースローにフォームを変更したところ、翌年から8年連続で2ケタ勝利を記録するなど大きな成功を収めた。

 ほかには、巨人の抑えのエースだった角三男(現:角盈男)や、数々の強打者を翻弄した伝説のワンポイントリリーバー・永射保も、フォーム変更が功を奏した選手。共にサイドスローにフォームを変えたことでコントロールが安定し、一流選手に成長した。

 フォーム変更が必ずしも成功につながるわけではないが、嘉弥真新也や小川龍也のように、厳しい状況から一転してチームに欠かせない存在に成長する可能性もある。なかなか結果が出せないシーズンが続いた場合は、思い切って変えてみるのも一つの手だろう。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング