2月11日に
野村克也氏が永眠し、東北にも悲しみが広がっている。楽天では一、二軍のキャンプ地で黙とうが行われ、楽天生命パークでは15日まで献花台が設置されるなど2006年から09年まで監督を務めた名将を多くのファンが偲んだ。
楽天は創設1年目の05年に最下位に沈むと、3年契約の途中だった
田尾安志監督を解任し、南海(現
ソフトバンク)、
ヤクルト、
阪神で監督を務めた野村氏を招へい。試合後の“ボヤキ”は敗戦のニュースばかりだったファンにとって唯一の楽しみとなった。できたばかりのチームにはベテラン選手のほうが多かったが、「野村再生工場」の名のとおり野村氏の下で再び輝きを取り戻していく。07年には
山崎武司が本塁打王と打点王、09年には鉄平が首位打者を獲得するなど、決して強いとは言えないチームからタイトルホルダーを輩出。全国ニュースで取り上げられる機会も増え、少しずつ楽天の存在が広がっていった。そして09年には2位となり球団初のAクラス入り。選手とファンに勝つ喜びを教えたのだった。
その09年に活躍したのが
田中将大(現
ヤンキース)と
嶋基宏(現ヤクルト)。ともにチームの顔、さらには球界を代表する存在となり楽天ファンはさらに増えていく。ベンチで嶋が直立不動のまま野村氏の話を聞いていた光景はファンにはおなじみの光景となっていた。嶋に対して特に厳しく指導していたのは、チームにとって捕手の存在がどれほど大きなものなのかを野村氏自身が一番知っているからだ。「優勝チームに名捕手あり」。13年に
星野仙一氏の下で初優勝、日本一を達成した際、嶋は正捕手として134試合に出場。優勝の土台を作ったのは確かに野村氏だった。わずか4年ではあったが、野村氏の野球は東北で根付き、その豊かな大地で花を咲かせた。
今季から監督を務める
三木肇監督は現役時代、野村氏の下でプレーしている。「弱者の兵法」、「ID野球」は自身が目指すチーム作りに欠かせないワードだ。その意思を引き継ぎ、ファンがワクワクする戦いを見せてほしい。
文=阿部ちはる 写真=BBM