一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 荒川の異様な帰国風景
今回は『1970年8月24日特大号』。定価は90円。
パは
ロッテが独走、セはおそらく
巨人。早くも巻頭記事ではロッテ─巨人の日本シリーズを占っている。
ロッテサイドからのポイントは7月末時点で29本塁打の
王貞治をどう攻略するか、だ。
王、
長嶋茂雄のコース別打率が出ていた。この時代では珍しいので掲載しておく(7月末日)。
王
内角
高め.550、真ん中.424、低め.124。
真ん中
高め.438、真ん中.545、低め.261。
外角
高め.250、真ん中.250、低め.143。
王自身は「僕がいくら打っても、ちょうどホームプレートを立てたような形しか打てない(下側の両端が欠ける)。両サイドの低めは本当に打てないものだねえ」と話していた。
長嶋
内角
高め.389、真ん中.370、低め.133。
真ん中
高め.423、真ん中.625、低め.333。
外角
高め.188、真ん中.185、低め.159。
この成績を見ると外角はまったく打てていないが、前年の成績は、
高め.324、真ん中.333、低め.141
と低め以外は悪くない。
誰がデータを取ったかは書いてないが、よく調べたものだ。
ロッテ独走で「舌口調」になりそうな永田雅一オーナーだが、顔色があまりよくない。実は「食欲があるのに体重が減る」ということで検査を受けると、胃に小さな影があったらしい。
それでも対巨人の日本シリーズは楽しみでたまらない。
「大洋よりお客さんは入るだろう」
とニコニコだ。前回60年の優勝の相手は大洋だったが、4連敗であっけなく散った。翌年のキャンプで永田は選手たちに「私を男にしてくれ!」と叫んだという。
あれから10年優勝から遠ざかった。私財をなげうったとも言われる東京スタジアムはできたが、社業が傾き、球団名もロッテと変わった。
ただ、だからこそ永田の球団への愛は深くなる。
東京球場の試合にはできる限り足を運んだ。「わしが来ると勝つ」という信念があるからだ。
タイムスケジュールはほぼ同じだ。試合開始1時間前に球場に到着。会長室で一息を入れ、ロッカールームで選手を激励し、球団幹部室へ。ここにまつってある日
蓮さまの神棚の2本のローソクを立て、灯をつけると、かしわ手を打って必勝祈願。
試合中はネット裏の幹部室で見守り、打席に聞こえるほどの大声で悔しがったり、喜んだりする。そしてチームが勝つとロッカーに姿を現し、「よー、ご苦労」から始まり、選手を祝福。さらに報道陣に向かって永田節をまくしたてる。
これほど熱心なオーナーもいないだろう。
7月22日には大洋から1位指名されながら拒否し、アメリカ留学をしていた
荒川堯が帰国。メジャーの練習参加がうまくいかず、昼間はなぜかボクシングジムでトレーニングをし、ホームステイ先で素振り、壁に球をぶつけるだけだった。
ただ、50試合以上ドジャースの試合を観戦し、選手たちとも交流。なかなか楽しかったようだ。
荒川の日本での帰国風景が物議を醸した。羽田空港には義父の
荒川博・巨人コーチ夫妻だけでなく、王、黒江、末次、新人の小坂、阿野(2人は早大同期)が出迎えた。
在京チームのスカウトは怒りの表情で言う。
「あれは完全な演出ですよ。もう巨人に決まったといわんばかり。あれが許せない。新聞を読んだ人もそんなもんかと思い込んでしまうじゃないか。まあ、逆にファイトがわいたけどね」
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM