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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

野村克也さんが語った「ID野球」につながる第一歩

 

先輩からかけられた言葉で


対談取材で語り合う門田さん(左)と野村さん


 野村克也さんが亡くなった。野球界に残されたその功績はあらためて紹介するまでもないが(というより、紹介していると長くなりすぎるので……)、筆者などは、若き日に、『野村克也の目』などの野村氏の著作で野球のさまざまな見方を勉強させてもらった世代だけに、やはりなにがしかの感慨はある。

 野村さんは、関西育ちの筆者にとっては、子どものときは南海の四番でキャッチャーで監督という、一人三役のスーパーな存在として、そうでなくなってからは「生涯一捕手」として、そして今の仕事に就いてからは、巨人に何度もひと泡噴かせたヤクルトの監督として、さらには少ない戦力でなんとか阪神を引っ張り上げようとしたが、それを果たせなかった監督としての印象が強い。あのボヤキ節も相まって、関西野球人の代表であり、関西の野球ファンが、「打倒巨人」の夢を託す象徴的存在、というイメージをずっと持っていた。まあ結局、のちには「実は巨人ファンやったんか〜い」ということがカミングアウトとされ、関西人はズッコケされられることになるのだが……。

 直接取材をさせていただいた中では、5年ほど前に『南海ホークスFOREVER』という本の中で、門田博光さんと「通算本塁打歴代2位と3位」の対談をしていただいたのが印象深い。2人で手のひらを合わせて、「俺は手が小さい」「いやいや、僕のほうがはるかに小さいですよ」「お前、ちゃんと合わしてるか?」「合わしてるわさ」と、お互いが子どものように意地になって手の小ささ自慢? をされていたのを思い出す。「江本(孟紀)、江夏(豊)、門田が南海の3悪人や」と野村さんが言えば、「そんなこと言うから、仲が悪いと思われるんですよ」と門田さんが返し、「われわれ、仲が悪いと思われてんの?」(野村)「ムチャクチャ思われてますよ」(門田)と笑い合うひと幕も。

 その対談では、野村さんが相手を研究して野球をすることになったきっかけも披露していただいた。一軍で出だして4、5年目に成績が落ちてきたとき、先輩の岡本伊三美さんに「殴ったほうは忘れてても、殴られたほうは忘れてないぞ」と言われて、勝負は相手あってのものだと気づき、そこから苦手としていた西鉄のエース・稲尾和久のフォームをとことん研究、スライダーが来るときに出る、モーションを起こす際の握りの癖を発見し、打てるようになったことが始まりだということだった。その後、杉浦(忠)が「野村はよう研究しとるで」と稲尾に言ったために気づかれてしまった……というボヤキはついたが、とにかくこれが、相手を研究することによって、勝負を優位に導く、のちの野村さんの「ID野球」に発展していくものの第一歩だったということは言えるだろう。

Import Data?


 ところで――。「ID野球」というのは、野球界にいくつかある、当たり前のように使われているけれどよく分からない言葉の一つだ。この言葉が出始めたとき、雑誌上で注釈をつけようとしたが、DはDataでいいとしても、Iは何の略だ? となり、「Import(持ち込む)と言っていた」という声と「Important(重要な)」と言っていたという声があって、「Importにはそういう用法はあるのか? Important Dataだったら、訳したら“重要なデータ”になって、“データ重視”とはまた違うよな……」と判断がつかず、結局注釈はつけずにそのまま「ID野球」とだけした記憶がある。のちの取材や著作などから、今では「Important Data」の略、ということで一般的には落ち着いているようだが……。

 ともあれ、その言葉が、以後、何の疑問もなく使われるようになって今に至っているというのは、それほど野村さんの「ID野球」が鮮やかであり、鮮烈であったことの証明でもあろう。考えてみれば、キャッチーな言葉を相手の目の前に提示し、聞いているうちになんとなく「そういうものか」と思わせるのは、ある意味では「言葉の人」である野村さん得意の手法そのもの。あるいはこの「ID野球」というよく分からない言葉の浸透こそ、野村さんの面目躍如と言えるものなのではないか――という気もする。合掌。

文=藤本泰祐 写真=BBM
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