3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 驚異の登板ペース
今回は『1972年7月10日号』。定価は100円。
6月22日の
中日戦(中日)で巨人・長嶋茂雄がついに通算400号本塁打を達成した。
「500号が2人いるからな」
笑顔を浮かべながらも長嶋。南海・
野村克也、同僚の
王貞治に続き、3人目の快挙だった。
このまま長嶋の記事と行きたいのだが、この号には、あまり突っ込んだものがなったので、この試合で11勝目を挙げた
堀内恒夫の記事を紹介しよう。
堀内は、ここのところ「先発完投、リリーフ、先発パターン」が続いていた。
例えば、6月9日が完封、中1日で11日が2回3分の2リリーフ、中2日で14日完投、中2日で17日が1回リリーフ、そして翌日、18日の
ヤクルト戦に先発したが、蒸し暑さと風邪もあって8回途中まで投げて7失点で敗戦。
この日は、その雪辱を期しての登板だったが、見事完封、しかも6年ぶりの無四球試合だった。
堀内は登板間隔についてこう語る。
「理想を言えば中3日か4日。この間のように中6日も空いたあとではかえってぼける。もちろんチーム事情もあるからいつも理想どおりとは限らないのは十分承知している」
堀内は、入団からこれまでの6年間ですべて2ケタ勝利も20勝は一度もなかったが、この時期で11勝なら、クリアはほぼ確実だろう。課題と言われた制球力もつき、急成長と評価も高かった。
ただ本人は、
「みんなはそうやって変わった、変わったというけど、意識して自分を変えるなんてできない相談ですよ。それに意識して無理にそうするのはすぐメッキがはげる。僕は自分を変えたとは思っていない。もともとある自分というものが初めて出てきたのだと思っています。
ただ僕の本質は優等生じゃない。変にいい子になろうとは思わない。相変わらず、人にはずけずけと本当のことを言うし、へつらったりゴマをすったりはしない。個性は個性として失いはしない。グラウンドの成績やピッチングの内容は変わったかもしれないが、人間としての持ち味は変わりませんよ」
と永遠の悪太郎宣言(?)をしていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM