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プロ野球回顧録

知将・野村克也氏の野球観を表す名言を読み解く

 

名選手として活躍し、名監督に。野球に対する観察眼、野球界を斬る的確な言葉は衰えることはなかった。その著書は野球に携わる者のみならず、人生の訓えを乞おうと多くの人が手に取る。ここでは、野村克也氏がブレることなく口にしてきた言葉の中から、野球のみならず、人生を生きる術として私たちが心に留めておきたい名言をピックアップ。野村オリジナルから、古典やことわざ、先人の名言を拝借したものまで、その言葉を読み解き、思考を探っていきたい。

『「失敗」と書いて、「せいちょう」と読む』


1990年から9年間監督を務めたヤクルトでは、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導き、名将の名を確たるものとした


 著書にも何度も出てくる、この言葉。どの世界にも共通する、含蓄深い言葉はもはや後世に残る名言とも言っていいだろう。監督時代、野村氏は見逃し三振をしてベンチに帰ってきた打者を怒ることはなかったという。結果よりもプロセスを重視し、「なぜ、その球種を狙ったのか」「三振に陥ったプロセス」を確認したとか。野球は“失敗のスポーツ”だからこそ、失敗したという結果よりも、なぜ失敗したのかというプロセスを大切にし、そこから次に成功する方法を見出していく。それこそが「失敗」=「せいちょう」なのである。

『巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず』


 中国の古典『韓非子』の名句で「巧みに偽りごまかすのは、拙くとも誠意があるのに及ばない」という意味だが、野村流にいえば「巧みだからといって、拙い者に勝てるわけではない」、さらに「不器用な者は、それを自覚しているから、その不器用を克服しようとして努力できる。正しい努力を続けることさえできれば、最後には不器用な者が勝つ」。確かに、才能豊かな選手たちがひしめく野球界でも、“器用”と思われる選手が苦しむケースは多そう。さらにノムさんは、自分が不器用だと自覚する必要性も説いている。こちらは、ソクラテスの「無知の知」とも通じるところか。

『殴ったほうは忘れても、殴られたほうは痛みを覚えているものだ』


 現役選手だった若かりしころ、スランプに陥ったときに、先輩である選手に投げかけられた一言。本塁打王を獲ったあとに打てなくなったのは相手も必死に研究してきているから。それを打ち崩すためには、自分はさらに研究しなければならないと、そこから配球について学び始めたという。この言葉が、野村氏の野球観を構築するためのスタートとなった。

『小事が大事を生む』


監督就任と同時に入団した古田敦也には自身の知識を授け、球界を代表する捕手へと育てていった


「どんな大きなことをやり遂げるにしても、目の前の小さなことを確実にコツコツと積み上げることから始まる」という意味で、野村氏が好きな言葉の一つだという。著書では、イチローがメジャーの最多安打記録をつくったときに「頂点に立つということは小さなことの積み重ねだ」と語っていたのを聞き、自身の野球観に通じるところがあると感じたとも。

『先入観は罪、固定観念は悪』


 これまた、野村氏がよく口にする名言で、著書でもさまざまな実例をもって、先入観や固定概念を取り除いて取り組むことの意義を説いている。例えば、ホームランバッターになりたいと考えていた若いころ、彼らのバットのグリップが細かったころから、自身もマネしてみたがまったく成果が出ない。たまたま太いグリップのバットを使ってみたところ、打てるようになった――。これも「先入観が罪」だったという一例だ。また、バッティングピッチャーといえば、打者の練習のための役目だが、鉄腕と呼ばれた稲尾和久は、この固定概念にとらわれず、バッティングピッチャーで自分のコントロールを磨く練習としたという。

 ヤクルト監督時代に『ID野球』を掲げ、野球における情報の重要性を浸透させた感のある野村氏だが、本来意図したのは「データは盲従するのではなく、一つの判断材料として知っておいたほうがいいというもの。重要なのは頭を使うこと」だったという。これだけ情報があふれた現代だけに、情報や固定概念に踊らされず、自身で感じ、考えることが大切だという現代人への戒めの一言にもなりそうだ。

『集中力を高める2大要素は興味と必要である』


 素質だけでプレーすれば、いつかは対戦相手に攻略され、成績も頭打ちになってしまう。野村氏はそういった選手にこそ、工夫を求める。才能を開花させるには学ぶことだと言い、学びを支えるのは「興味」と「必要」だという。野球選手だけではなく、私たちの仕事にも通じる納得の一言だ。

『覚悟に勝る決断なし』


 まさに直球、ストレートな一言。特に、監督のようなリーダーには、時に非情ともいえる決断を迫られることもあるが、それもすべての責任を負う覚悟であればこそ最善の策を講じることができるのだ。もちろん、一選手にとっても当てはまる言葉であり、特に力が上の投手と対峙するような場面では、狙い球を決め、覚悟を決めて向かっていくことが必要だという。

 また、監督をしていく中で「決断」と「判断」はまったくの別物だと気付いたとも。「判断」は頭でするもので、選手起用や代打、投手交代などは基準、根拠などが求められる。一方、「決断」は一種の賭けでもあり、責任は自分が取るという度量の広さが求められ、それには迷ったら「覚悟」を決めることだという。

『言葉は力なり』


南海の選手兼任監督時代にトレードで獲得した江本孟紀(右)。個性的な選手たちによって、野村氏の選手掌握術が磨かれていった


 野村氏といえば、「ぼやき」や「ささやき」のイメージがあるが、「言葉の力」を痛感したのは、自身の選手時代、打席に立ったときに相手チームの捕手の言葉に惑わされたのが最初だったとか。そこから自身も「つぶやく」ことやピッチャーに対する声かけにより、バッターの心理を翻弄することができると思い至ったのだという。また、監督としては、江本孟紀、江夏豊門田博光といった個性あふれる選手たちと接する中で、選手掌握術を磨き、人に応じてふさわしい言葉を投げかけることで彼らが実力を発揮するようになると実感し、さらに「言葉の力は巨大だ」と思い知ることに。言葉の力を信じているからこそ、野村氏の言葉には説得力があり、数多くの名言を発し続けたのかもしれない。

写真=BBM
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