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週べ60周年記念

南海・野村克也の生涯唯一の鉄拳制裁?/週ベ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

三原脩監督が太田幸司の野手転向を指示?


表紙は巨人王貞治



 今回は『1970年11月16日号』。定価は80円。

 10月29日、三原脩前近鉄監督がヤクルトからの監督就任要請を受諾した。ヤクルト・松園オーナーは三原監督に3年やってもらい、義理の息子である旧知の中西太につないでほしいと希望していたようだ。そのため中西をヘッドコーチと考えていたようだが、三原はそれでなくても「親子で」と批判が出やすく、結果が出ない場合、ともに責任を取る形にもなりかねないと、ヘッドでの入閣は渋り、二軍監督か打撃コーチと考えていたという。

 三原が去った近鉄では、太田幸司の野手転向が話題になっていた。プロ1年目、1勝4敗、防御率3.86に終わった新人右腕に対し、三原監督は在任時、「足も速いし、野手に変えてみるのも面白い」と話していた。
 太田本人が嫌がり周囲も反対していた。三原の退団もあって、こちらは立ち消えになりそうだ。
 三原は理由について、
「プロ入りしてぐんぐん頭角を現す投手は1年間で5センチや10センチ身長がつくし、肉がつく。太田はどういうわけか背丈も伸びないし、体重も増えない」
 と言っていた。
 いくら高卒でも、そうは身長は伸びないようにも思うが、深読みすれば、三原監督は太田がまだ成長期にあれば、この先球界を背負うような投手になるが、この時点で体が完成しているのであれば、早熟なタレントであり、大きな伸びはない、と思っていたのかもしれない。
 競馬の若い馬に対する見方のようだが、正しいといえば、正しい。

 南海・杉浦忠が引退を表明した。
「もう、いつまでも現役を続けることはできない。と同時に愛する南海を離れたくないという気持ちも強い。でも南海に残るのにお情けで残るのは嫌なんだ」
 と話していた。この年は16試合に投げ、1勝1敗。通算では187勝、ただ、入団から4年間ですでに116勝をしていた。
 野村克也兼任監督は日本シリーズに解説で呼ばれチームを離れていたので、まだ報告をしていなかったという。

 この号では、その野村と評論家・佐々木信也の対談が載っている。最下位から新監督・野村の下で2位に。躍進のポイントとして、自分が選手として出ている試合をある程度、ヘッドコーチのブレイザーに任せたことを挙げていた。

 また、1年目の苦労を聞かれ、
「まあ具体的にどれがつらかったかと言われると、つらいことばっかりです」
 と話し、「気を使ったことは」と重ねて聞かれた後、
「精神面ではやはり同じくらいの年代の選手には気を使いますね。チームをいいチームにしていくためにはやはりそういうベテラン連中の言動に左右されますからね。
 たとえば、俺がやっていることを陰で古い連中が、なんや監督は、ということを口走ったとすれば、若い連中がああ、そうかなという気持ちになったり。だから僕は、監督は選手にばかにされたら終わりだと思います。そのときはやめるべきだと思うんです。
 そのためにはまず選手に信頼されるということ。なかなか難しいことですけれど、そういう意味でやはり作戦面の失敗というものは、選手には微妙に響きますからね」
 青年指揮官の気負いも伝わる。
 
 この中で、野村監督の鉄拳制裁の話も出ていた。はっきりとは書いていないが、人を殴ったのは初めてだったようだ。
 試合中、ケガをし、ベンチ裏の控室に治療に向かったときだった。
 ある選手がぼーっとしたのを怒鳴り、殴ったという。
「25人の選手がベンチに入りますね。ゲームに出ているのは9人だけど、常に25人で野球をやる気持ちを忘れるんじゃない。人は人、自分は自分という考え方じゃとてもね。野球なんてスポーツはやっぱり全員がまとまらなきゃ。ばらばらでやっとったらもうみじめだし、勝てないしね」
 鶴岡式の見せしめ的鉄拳制裁をよしとはしていなかった人だ。何か言い返されたりしたのかもしれない。
 おそらく、これが最初で最後の鉄拳ではないか(記事のコメントで荒井幸雄の頭をポカリの話があった。確かにあれもあったか…忘れてました)。

 終わったかに思えた黒い霧事件に新たな動きがあった。
 兵庫県警が関西の野球賭博の胴元を逮捕。暴力団ではなく、消毒会社の社長だったが、この世界では有名で、藤縄とは比べものにならない大物だったという。
 この社長と阪神江夏豊が親しかった。江夏は「ただのファン。後援会の人だと思っていた。野球賭博の胴元とは知らなかった」と話していた。江夏の八百長への関与はない、となったが、当時の江夏は徹夜麻雀の後、登板することもありと、私生活がずいぶん荒れていたようだ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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