2019年シーズンは
ヤクルトの
村上宗隆がシーズン36本塁打を記録し、清原和博の10代最高本塁打記録を更新した。ただ、この清原の記録は高卒1年目で達成したもの。そのため、「高卒1年目記録」としてはまだ破られていないのだ。では、こうした「高卒1年目での最高記録」にはどんなものがあるかご存じだろうか。
1年目からすさまじかった元祖安打製造機
2リーグ制となった1950年以降に高卒選手が1年目で残した野手の最高記録を以下にまとめてみた。
出場試合数:139 1955年 榎本喜八(毎日)
安打:146 1955年 榎本喜八(毎日)
打点:78 1986年 清原和博(西武)
得点:84 1955年 榎本喜八(毎日)
二塁打:24 1955年 榎本喜八(毎日)
三塁打:7 1952年
中西太(西鉄)、1955年 榎本喜八(毎日)、1960年
矢ノ浦国満(国鉄)
本塁打:31 1986年 清原和博(西武)
塁打:236 1986年 清原和博(西武)
盗塁:25 1953年
豊田泰光(西鉄)
打率:.304 1986年 清原和博(西武)
最年少で1000安打、2000安打を記録し、安打製造機と呼ばれた天才打者・榎本喜八が5部門で高卒1年目最高記録を残している。当時は打率や打点、塁打も高卒1年目での最高記録で、1986年に清原和博が更新するまで30年以上も破られていなかった。もし清原がいなければ、今も8部門に名を連ねていただろう。
榎本の記録を破った清原の成績もすさまじい。高卒1年目で31本塁打、78打点、打率.304と、経験を積んだ主力打者でもそうそう残せない成績をいきなりたたき出した。ヤクルトの村上は高卒2年目で36本塁打、96打点を達成したが、もし1年目に清原と同じ126試合に出たとしても、プレッシャーなどもあって同等の記録は残せなかったかもしれない。
ちなみに、上の最高記録はいずれもパ・リーグ記録でもある。そこでセ・リーグの高卒1年目記録を下にまとめてみた。
出場試合数:110 1988年 立浪和義(中日)
安打:75 1955年
並木輝男(
阪神)、1988年 立浪和義(中日)
打点:32 1955年 並木輝男(阪神)
得点:61 1988年 立浪和義(中日)
二塁打:15 1988年 立浪和義(中日)
三塁打:4 1955年 並木輝男(阪神)
本塁打:11 1993年
松井秀喜(
巨人)
塁打:118 1955年 並木輝男(阪神)
盗塁:22 1988年 立浪和義(中日)
打率:.223 1988年 立浪和義(中日)
セ・リーグの高卒1年目記録は、1960年代の阪神打線を支えた並木と、後にミスタードラゴンズと呼ばれるまでに成長する立浪の2人がほぼ独占する形だ。特に立浪はセ・リーグで唯一の高卒1年目での新人王受賞者でもある。また、あの松井秀喜の1年目は11本塁打。もちろん11本塁打もかなりの記録だが、後に歴代最高クラスのスラッガーになる松井としてはやや物足りない1年目だった。
投手記録もとんでもない数字が並ぶ
次に、投手での高卒1年目最高記録をまとめてみた。
試合:61 1956年 稲尾和久(西鉄)
完投:17 1954年
梶本隆夫(阪急)
投球回:329.2 1954年
宅和本司(南海)
勝利:26 1954年 宅和本司(南海)
敗北:24 1961年
徳久利明(近鉄)
セーブ:4 1984年
加藤伸一(南海)
奪三振:275 1954年 宅和本司(南海)
防御率:1.06 1956年 稲尾和久(西鉄)
野手記録も圧巻だったが、こちらも相当な数字が並んだ。まずは試合数。日本記録は
ロッテの
益田直也が記録した72試合だが、こちらは大卒でほぼ中継ぎの起用。しかし稲尾は高卒1年目から先発に中継ぎにフル回転(先発でも22試合に登板している)し、61試合と過酷極まりない起用の末の数字だ。完投や投球回、勝利、敗北、奪三振も現在の起用方針を考えるとまず更新は不可能だ。防御率は不可能とは言い切れないが、高卒ルーキーにこの数字を求めるのは酷だろう。ただ、超大物のロッテ・
佐々木朗希ならもしかすると……。
ロッテの佐々木や中日の
石川昂弥など、今シーズンも注目の高校生たちが目白押し。まだ開幕一軍を勝ち取った選手は出ていないが、ぜひ高卒1年目の記録を打ち破るような活躍を期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM