一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 江夏豊、契約更改でもめる?
今回は『1971年1月18日号』。定価は90円。
巨人のドラフト1位・湯口敏彦の実家を訪ねた企画があった。
出身の白鳥町まで岐阜駅からバスで3時間。生まれたのは、さらに45キロほど離れた福井県境の山村だった。
5歳のときダム建設のため村が湖底に沈むことになり、わずかな移転費をもらい、白鳥村に移り住んだ。
小学生のときから野球に夢中になり、左腕もあって投手になった。
高校はスカウトされ、岐阜短大付高へ進み、家を出た。このときは正月ということで実家に帰っていたが、毎日、ランニングを欠かさず、黙々と体を鍛えていたという。
口数は多くないが、礼儀正しい好青年の近所の評判もよかった。
ノーコンながら快速球と大きなカーブで注目された選手だが、下半身が硬く、育成には時間がかかるだろう、と評価も多かった。
解説者の
榎原好はこう語っている。
「はっきり言って、湯口は育て方の非常に難しいタイプの投手じゃないですかね。一つ間違うと使い物にならなくなってしまう危険性を感じますね」
契約更改で
阪神・
江夏豊がもめていた。21勝17敗の成績を残しながら黒い交際を出され、現状維持提示。これにあわてたのが、
村山実監督だった。自ら球団と交渉し、10パーセントのアップともし来年20勝したら倍近いアップの約束を取り付けた。
ただ、それでもなお年俸600万程度。江夏は「こんな話ってあるだろうか。昨年初めて20勝した平松より低いとは」と嘆いた。
名前を出された大洋・
平松政次は50パーセントアップの720万円にクビを振り、交渉続行中だった。
では、またあした。