一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 野球をこよなく愛した男
今回は『1971年2月8日号』。定価は90円。
前回の続きだ。
ロッテの永田雅一オーナー(大映社長)が球団を手放すことを明らかにした。
前日の記事と最後の部分が重複するが、ふたたび当時の記事を再録する。
説明しながら、ときには目をつぶり、腕組みをして、激してくるものを抑えようとするのがいっそう悲壮感をただよわせたようであった。
そして振り絞るような声で言った。
「私は映画で死ぬ男だ。野球はやはり余技なのだ」
だが、この言葉が本音だったのだろうか(ここまでが前回)。
「私の命の次は野球なのだ」と常々言っていた永田オーナーだ。
事実、これまで何度かの危機を自分のすべてをつぎ込んで、日本一になるまで、と頑張ってきた永田オーナーではないか。
選手もファンも、そして野球関係者も、永田オーナーが誰よりも球団経営に火のような情熱を傾けてきたのを知っている。
それだからこそ、昨年の優勝の際、ファンがわがことのように喜び、オーナーを胴上げし、ともに十年目のペナントに雀躍したのである。
そのオーナーが「やはり余技だった」と語ったのは、それこそ血の叫びであっただろう。決して本音ではなかったろう──。
野球ファンは皆そう思っているに違いない。それだけに永田オーナーが、そこまで追い込まれた苦境がひしひしと胸を打つのである。
その後、今後の方策について後述のように語ったが、そのなかで永田オーナーは精いっぱいの抵抗をのぞかせていた。
「資本の肩代わりであって、これでまったく私はオリオンズと赤の他人になるのではない。できればロッテに全面的にやってほしい。赤の他人に渡すことだけは絶対にしたくない」
手離す、などの表現はいっさい使わず、終始「肩代わり」と言い続けたのは、情熱のオーナーの血のにじむようなオリオンズへの愛情が盛り込まれているような気がしてならない。
最後にオーナーは、
「球団も選手も、心配することはない。オリオンズは消えはしない。アメリカ・キャンプに、気持ちよく送り出したい。これからもよろしく」
そう言って、記者団に向かって深々と頭を下げた。
これが二十三年、オリオンズのオーナーとして、また球界のリーダーとしての永田雅一の最後の言葉なのだろうか。
これほど野球を愛し、またファンからもこよなく愛された永田オーナーのラッパはもう聞かれないのだろうか。
これまで資金は出しつつ「野球には素人だし、球団を経営する気は毛頭ない」と言っていた重光武雄ロッテ社長だが、その後、
「本意ではないが、私がするしかないでしょう」と語った。
後任オーナーには中村長芳が就いた。
最後、この話とは関係ないが、老婆心ながら付記する。
東京は週末の外出自粛など出ていますが、海外の状況を見ても、逆に運動不足、栄養の偏り、ストレス過多での重症化リスクのほうが高いように思います。
過度の自粛でストレスをためないよう、お体に気をつけ、お過ごしください。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM