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セ・パ両リーグで活躍した外国人には誰がいる?

 

 昨オフ、ヤクルトを退団したウラディミール・バレンティンがパ・リーグのソフトバンクに入団した。3年連続最多本塁打、シーズン最多本塁打記録の更新など数々の実績のある選手だが、こうした選手でも、リーグが変わると途端に打てなくなることは少なくない。幸いにもオープン戦、練習試合とバレンティンは好調で、セ・パ両方での活躍が期待できそうだ。では、過去にセ・パ両リーグで活躍した助っ人外国人には誰がいたのかご存じだろうか?

セ・パの垣根を越えて活躍した助っ人


巨人・ローズ


 セ・パ両リーグで活躍した外国人といえば、やはりタフィ・ローズだろう。1995年オフにレッドソックスから近鉄に入団したローズは、来日1年目の1996年に打率.293、27本塁打、97打点と活躍。1999年には40本塁打、101打点で二冠に輝くと、2001年はシーズン55本塁打を記録し、シーズン最高記録だった王貞治に並んだ。その後、51本塁打で再び最多本塁打のタイトルを獲得した2003年に近鉄を退団し、巨人に移籍した。

 巨人では入団1年目の2004年にいきなり45本塁打を放ち、NPBでは落合博満に続き史上2人目、助っ人外国人では初のセ・パ両リーグでの本塁打王に輝いた。翌2005年も27本塁打と長打力は健在だったが、打率.240とチームの期待に応えることができず、その年のオフに退団した。

 ローズのように打撃タイトルこそ獲得はできなかったが、阪神でプレーしたジョージ・アリアスもセ・パ両方で活躍した選手だ。メキシカン・リーグから2000年にオリックスに加入したアリアスは、その年にチーム最多となる26本塁打を記録。翌2001年もチーム最多の38本塁打と持ち前の長打力を発揮したが、首脳陣が期待する数字ではないとして退団することになった。

 オリックスを退団したアリアスは阪神に入団。加入1年目の2002年は126試合に出場して32本塁打、82打点。リーグが変わっても活躍した。2003年は38本塁打、107打点と前年を上回る成績を残し、ベストナインとゴールデン・グラブ賞も受賞。チームのリーグ優勝に多大な貢献を果たした。翌2004年も25本塁打、84打点と好調だったが、高額な年俸がネックとなりチームを離れることになった。

ロッテ・ミンチー


 投手では、広島とロッテでプレーしたネイサン・ミンチーが挙げられる。1998年にロッキーズから広島に移籍したミンチーは、1年目から先発ローテーションに定着。15勝を挙げる活躍を見せた。翌1999年はケガの影響で2勝に終わるが、2000年はチーム最多の12勝と復調。その年のオフに高年俸がネックとなり広島を退団。ロッテに移籍した。

 ロッテ1年目の2001年は、30試合に登板して12勝14敗と負け越すも、防御率3.26で最優秀防御率のタイトルを獲得。パ・リーグで外国人投手が最優秀防御率に輝いたのは史上初のことだった。また、外国人投手がセ・パ両方で2ケタ勝利を挙げたのも初の快挙。翌2002年は15勝14敗、2003年は14勝9敗と先発の柱としてプレーしたが、4勝しか挙げられなかった2004年オフに退団した。

懐かしの助っ人もセ・パで活躍



 往年の名助っ人の中にも、セ・パ両方で活躍した選手が何人もいる。まずは阪急黄金時代に活躍したボビー・マルカーノだ。1975年に阪急に入団したマルカーノは、チームの中心選手として1982年まで8年間プレー。1978年には最多打点のタイトルを獲得し、ベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデン・グラブ賞)に4度も選ばれている。

 マルカーノは阪急退団後の1983年にヤクルトに加入。ヤクルト1年目は128試合に出場して打率.271、25本塁打、78打点と活躍。翌1984年は本塁打こそ15本と前年を下回ったものの、打率は.300を記録する。残念ながらヤクルトではタイトルを獲得できなかったが、持ち味である巧打は健在だった。

 ヤクルトと近鉄でプレーしたチャーリー・マニエルもセ・パ両方で活躍した選手だ。1976年にヤクルトに入団したマニエルは、1年目は調子が上がらなかったが、2年目の1977年は打率.316、42本塁打と活躍。翌1978年も打率.312、39本塁打とバットでチームをけん引した。

 その後、マニエルはチームの方針から近鉄にトレード移籍。近鉄1年目は97試合の出場ながら37本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得すると、翌1980年は48本塁打、129打点で二冠を達成。リーグが変わっても本塁打を量産した。

大洋・レオン


 ほかには、ロッテのレジェド助っ人のレオン・リーが挙げられる。1978年に兄のレロンに誘われてロッテに入団すると、在籍した5年間のうち4年で打率3割以上を記録。また、本塁打も1980年には41本塁打を放つなど、バットコントロールだけでなく強打も兼ね備えた選手だった。

 1982年にロッテからトレードで大洋に移籍するが、ここでも在籍3年のうち打率3割を2度、シーズン30本塁打以上も2度記録。その後、1986年にヤクルトに移籍し、この年は打率.319、翌1987年も打率.300と巧みなバットコントロールで安打を量産。この年に現役を引退することになるが、まだ現役を続けられるのではと思うほどの好成績を残した。

 セ・パ両リーグで活躍した助っ人外国人を紹介した。片方のリーグだけで偉大な成績を残した助っ人は多くいるが、両方のリーグとなるとなかなか難しい。助っ人による両リーグ最多本塁打や両リーグで最優秀防御率は、ローズとミンチー以来、誰も達成できていないのだ。今年はバレンティンが偉大な記録に挑むことになるが、果たして2人目となる「助っ人による両リーグ最多本塁打」を達成できるのか注目したい。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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