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記録で見る近鉄・ブライアントの1989年。決して荒っぽいだけのバッターではなかった/よみがえる1980年代のプロ野球5・1989年編

 

セ・パ創設70年を記念した企画として小社が考えたのが、プロ野球が荒々しくも輝いていた1980年代を1年1冊にまとめていく企画だ。その第5回は近鉄ブライアントの4連発、巨人の日本シリーズでの3連敗4連勝に沸いた。

ブライアントの打撃は荒っぽいだけではない


1989年版表紙



 1989年、49本塁打、121打点をマークし、9年ぶりの近鉄バファローズ優勝の立役者になったブライアント。
 10月12日、西武戦(西武)ダブルヘッダーの4連発は今も語り草だ。

 前年の1988年途中、デービスの大麻所持による逮捕、解雇の後、中日の二軍にいたブライアントを仰木彬監督、中西太監督が自ら足を運んで二軍戦を視察し、獲得を決めた。

 強烈なフルスイングと、当時の日本記録(と言っても更新したのも本人だが)187三振もあって、89年のブライアントに粗っぽいイメージを持っている方も多いと思うが、打率も.283と決して低いものではない。
 月別成績を見ても、4月が打率.224、6月が打率.191と極端に低いだけで7月以降で見たら、すべて打率3割超えだ(.321、.310、.333、.311)。
 三振の多さを考えると、バットに当たったときのヒット率は相当高くなる。
 実際のスイングを見ると、ヒッチが大きく、最後に振り上げているが、インパクトの前後はきれいなレベルスイングだ。正しい軌道で、しっかり強く振っているから、当たり損ねでもヒットになりやすいということだろう。

 初球から積極的に狙っていくタイプだったが、打者有利のカウントでは打ち損じも少なく、カウント別の打率を見ると、0ストライクが.505、1ストライクが.413、2ストライクが.174となっている。
 同年、打率.322で首位打者のオリックスブーマーが、.386、.297、.260の順だ。
 狙い球を絞り込み、早いカウントではしっかり仕留めているが、追い込まれると、もろさもあったことが分かる。
 意識としても無理に当てて凡打より、長打を狙ってしっかり振って空振りもやむなしと思っていた節もあり、記者に三振の数を言われると、すぐ不機嫌になったという。

 球団別に見ると、宿敵・西武相手に打率.385、14本塁打と打ちまくっており、西武球場で打率.412と敵地にも相性がいい。
 一時期は18打数4安打、0本塁打、7三振と苦手とした渡辺久信(右投げ)も、最後の最後、10月12日に決勝弾を放ち、沈めている。

 対して球団別で相性が悪いのが、ダイエーで打率.236。前年の南海時代は.429とカモにしていたが、大洋から左腕・永射保が入ったことで一変。永射には13打数2安打、打率.154と封じ込められた。
 ブライアントは対左腕に打率.266(右は.291)と、そこまで苦手にしていないのだが、永射は例外だったのだろう。
ホームラン数は対右の40本に対し、対左は9本と圧倒的に少なく、対左では多少、安全策に出ていたようだ。
 逆に、彼が力だけのタイプでなかったことが分かる。

 もう1つの注目は犠飛0でも分かるように外野にフライが少なかったことだ。
 犠飛自体は前の走者の関係もあり、85年、52本塁打を打った当時ロッテ落合博満(右打者)の犠飛も4。多いか少ないか意見が分かれるかもしれないが、ホームランと外野のフライアウトの打球方向を比較すると違いは顕著になる。

ブライアント
左翼(本塁打11、フライアウト24)
中堅(本塁打6、フライアウト16)
右翼(本塁打32、フライアウト12)
落合博満
左翼(本塁打29、フライアウト19)
中堅(本塁打2、フライアウト42)
右翼(本塁打21、フライアウト31)

 ブライアントの場合、角度がつき、外野まで飛んだ打球は、そのままホームランとなる率が高かったことが推測される。
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