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プロ野球回顧録

念願の巨人入りも春は遠かった元木大介の1年目

 

プロ1年目、1991年の元木


 まさに念願かなっての巨人入りだった。1990年のドラフト会議。巨人からの1位指名に、元木大介は瞳を潤ませた。万感の思い。子どものころから夢見続けた巨人のユニフォームが着られる……。

 そのちょうど1年前、大阪・上宮高の大型内野手として実力、人気とも兼ね備えた元木は、ドラフトの目玉としてその去就が騒がれた。希望はもちろんプロ一本。しかし、本人の巨人入りの希望をよそに1位指名したのはダイエー。入団拒否。浪人生活を選んだ。

 ハワイへ単身で渡り、トレーニングの日々。夢がかなう日を目指して、日本を離れた。苦しく、不安と孤独に包まれながら1年間を過ごした元木が、ようやくつかんだ巨人入りだった。しかし、春はすぐにはやってこない。巨人でも大きな試練が待っていた。

 注目を浴びての一軍春季キャンプ参加だったが、プロの壁は高くて厚かった。初めて臨んだシート打撃では、石毛博史の速球の前にあえなく三振。また3月2日のロッテとのオープン戦では「九番・DH」として初めて出場したものの、小宮山悟のカーブの前に3打数2三振と無残なデビューとなってしまった。

「1年間のハワイでのトレーニングで、自分では体力に自信はあったのですが、今思えばやっぱりプロの体ではなかったということなのでしょうね」

 結局、オープン戦までは一軍に帯同したものの、体力不足を理由に開幕は二軍スタート。また、4月に入って練習中に左肩の関節炎に見舞われ、屈辱の三軍落ちを味わう。ファームの遠征にも参加できず、一人黙々とリハビリに励む日々が続いた。

 91年のルーキーイヤーは、一軍での出場はなく、イースタンで63試合に出場し、打率.321、4本塁打、18打点という成績に終わった。身にしみたプロの厳しさだった。

 それをバネに翌92年には一軍昇格。元木はここから本当の意味でプロ選手のスタートを切ったのであった。

写真=BBM
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