一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 堀内恒夫と江夏豊
今回は『1971年3月15日号』。定価は90円。
前年、ヘッドコーチとして南海を2位に引き上げたと評価急上昇の
ブレイザー。対抗し、メジャーで実績があり、日本での活躍した
スペンサーをコーチとして復帰させたのが、阪急だ。
「ブレイザーはコーチとしての実績は上だが、日本の野球については私が先輩である。負けてはいない」
と本人も意気軒高だった。
ただ、最初から齟齬があった。
スペンサーは自分がヘッドコーチか、打撃、走塁コーチとして招かれたと思っていたが、ポストは守備コーチだった。すでに打撃コーチには元
広島の
上田利治を招へいし、スペンサーは守備コーチに元阪神・
吉田義男を招へいするつもりが断られ、その後釜だった。
何よりも問題は
西本幸雄監督との関係だ。
スペンサーは現役時代、メジャーのプライドと自分こそが阪急を強くした貢献者という自負があった。
西本監督を下に見るような発言をすることもあり、たびたび衝突した。
今回の招へいも完全に球団主導。西本監督は蚊帳の外だったようだ。
西本監督はスペンサーが現役時代こう言ったことがある。
「あの男は野球をよく知っているが、日本のプロ野球をなめている。あんな男は日本を毒する」
ただ、フロントも結構適当で、キャンプでの通訳は阪急交通の人間で、いたり、いなかったりだったらしい。スペンサーは5年もいながらまったく日本語が話せず、かなり指導に苦戦していた。
たぶん、西本監督が「いつも通訳を」とリクエストすれば、違ったと思うが、
「野球はアメリカから来たスポーツ。用語も英語だから大丈夫だ」
と言っていた。
さすがのスペンサーも「日本語マスター法」という本を買って勉強し始めたという。
また、スペンサーは選手復帰にも色気があり打撃練習に加わったりしたが、西本監督は「もう使えんな」と冷たかった。
巨人・
堀内恒夫と阪神・
江夏豊のライバル記事もあった。江夏は、またも週刊誌に銀座のホステスさんの暴露記事を書かれたようだが、もう慣れたもので、
「彼女の言うとることはほんまや。それでええやないか。ほかに言うことないわ」
と答えていたようだ。
また、堀内の江夏に対する言葉はなまなましい。
「ヤツはね、1年先輩の僕をつかまえて、おい、ホリと呼ぶんです。あんな心がけでは先行き暗いですね。田淵(幸一)さんもブチでしょ。うちのチームじゃ考えられんわ」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM