一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 山内一弘のかっぱえびせん、はこのときから
今回は『1971年4月5日号』。定価は100円。
開幕前夜、記者の匿名座談会があった。
匿名だから無責任な話もあるが、少し拾ってみよう。
大洋からヤクルトにトレードとなった“新人”
荒川堯は、現在、肩痛に苦しんでいた。
義父の
荒川博が相変わらず指導を続け、当初、「一流のコーチが見てくれるんだから」と言っていた三原脩監督も少し煙たくなってきたようだ。
記者たちの中では、荒川がヤクルトと義父の間に立たされた、「心労痛」では、とも言われていた。
阪神では
江夏豊の「造反」が話題になっていた。
新聞記者との冷戦は続き、以前の回であったように、週刊誌での銀座のホステスの暴露話の件でも、
「誰にだってあることでしょう」
だけで、すませていたという。
記者との確執だけならまだいいのだが、
村山実監督に対し、
「監督は選手時代、人一倍わがままを言ったのに、監督になったらうるさいことを言う。そんなもん聞けるか」
と
大勢の記者の前で言い放ち、村山監督にとっても、扱いが難しい選手になっていたようだ。
ただ、この座談会では意外と好意的。
要は江夏の給料が安すぎるから悪いというのだ。
黒い交際で据え置かれたこともあるが、推定ながら640万。
巨人の
堀内恒夫が960万、村山は2000万だったという。
また、阪神・
田淵幸一は一本足への打法改造で「今年はかなり打ちそう」と言われていた。
ただ、田淵は、
「タイミングを取るために上げたり上げなかったりしているだけ。たまたま高く上げたとき、大きな当たりを飛ばしたから話題になったのでは」
と話している。
巨人のコーチになった
山内一弘に「かっぱえびせん」のあだ名がついた。テレビのCMであった、やめられない、止まらないというヤツだ。
要は、教えだしたら止まらないことからで、のちには代名詞的になったが、「へえ、このときからなんだ」と思った。
阪急にコーチとして復帰した
スペンサーは完全にほされていた。
西本幸雄監督がほぼ無視を決め込んでいるからだ。
スペンサーは、
「オレは自分の考えていることが多くあるが、ボスとの対話がない。ボスがくみ上げてくれようとしない」
と愚痴っていた。
球団関係者は、
「出発点からして間違っている。意地が入り組んでいるだけに2人の仲は容易に溶け合わないだろう。球団フロントの強引さが(西本に相談せず、スペンサーを招へい)、西本の拒否反応を生んでいる。ただ、監督がもう少し胸を開いて、スペンサーの良さを受け入れればいいと思うのだが」
と話していた。
頭角を現してきた主砲候補として南海・
門田博光、阪急・
加藤秀司、
広島・
水谷実雄を紹介。
門田は2年目ながら
野村克也監督が三番に抜てきし、オープン戦で打ちまくっていた。
ただ、強烈なフルスイングが裏腹、ムラがあり、野村監督は
「まだ大物を打とうと意識している。あれがなくなれば勝手にホームランが飛び出していくのに」
とも言っていたが、当の門田は、打てないときも、
「打てないものはどうにもならんですよ」
と涼しい顔だった。
では、また月曜に、と思いますが、少しバタバタしてます。
<次回に続く>
写真=BBM