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ロッテ・植村義信コーチの料理はなぜ大盛りになったのか?/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

島本講平の1年目は投手?


表紙は南海・島本講平



 今回は『1971年4月12日号』。定価は100円。
 
 1971年開幕直前、V6巨人のマンネリ化もあって若きスター待望論が強まっていた。
 旗手の一人が南海の新人・島本講平だ。
 甘いマスクの第2のコーちゃん人気は、今や初代の近鉄・太田幸司をしのぐ勢い。大阪球場も、ボックス席前にファウルボール対策のネットを張り、トイレを改造するなど、女性ファンの増加に対応していた。
 当初、野村克也監督は二刀流にチャレンジさせるつもりだったが、チームの左腕不足と守備の不安もあって、この時点では1年目は投手に専念させ、2年目から打者にさせるプランに変えた。
 ただ、オープン戦のピッチングは散々。他チームからは「高校生レベル。リードがノムさんじゃなきゃもっと打たれてる」と酷評され、島本自身も「もう投手はこりごり。打者一本でやりたい」と話していた。
 
 ルーキーではないが、足を上げるフォームに変えた阪神田淵幸一が“化けた”という声は多かった。
 3月14日、南海とのオープン戦では大阪球場のレフト場外弾。南海・野村は「びっくりした。場外に出たのは10年ほど前、西鉄の中西(太)さんだけじゃなかったか」と話していた。
 オープン戦では2試合に1本ペースでホームランを打ち、巨人・王貞治の好敵手になるだろうと言われていた。

 若手の台頭の一方でレジェンドが幕引きもあった。
 南海・杉浦忠の引退試合だ。
 対巨人のオープン戦だったが、打席の長嶋茂雄は三振ではなく、センター前ヒットで大学時代からの盟友の門出を祝った。

 スケジュールが過酷と伝わっているロッテのアリゾナ・キャンプだが、やっていればいろいろある。
 選手たちの食堂のウエイターに20歳の黒人がいた。ボクシング通の190センチの巨漢で、日本人といえば空手か柔道をしていると思っていたようで、
「誰か空手を教えてくれないか。授業料をあげるから」
 と、やたらと絡んできた。

 あまりにうるさく頼み込むので、植村義信コーチが、この男の左首元に軽くチョップを当てると、音を立てて崩れ落ちた。以後、植村コーチの料理はすべて大盛りに変わったとか。
 空手3段だったらしい。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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