圧倒的なポテンシャルで巨人のエースとして一時代を築いた斎藤。だがそんな男にも苦手にしていたバッターがいた
おそらくもう破られることのない大記録と言っていいだろう。1989年に巨人の
斎藤雅樹が成し遂げた11試合連続完投勝利。89年、90年は20勝をマークして最多勝。沢村賞にも3度輝くなどジャイアンツの絶対的な存在として、平成プロ野球を代表する大エースとして多くの野球ファンを魅了し続けた。
そんな斎藤氏に当時の思い出を聞くインタビューの機会があり(別冊 週刊ベースボール1989年編に掲載)、1年目の内野手挑戦の真相、サイドスロー転向、11試合連続完投勝利が止まった夜の日のことなど、いまだからこそ話せる興味深い話に時間を忘れてしまうほどだった。
まさに全盛期は無双状態。それでも斎藤氏が「とにかくミートが上手くて、どこに投げても打たれた印象しかないんですよね。絶対に対戦したくないというか、本当に当時は顔を見るのも嫌だったかな(笑)」と苦手にしていたバッターがいた。名前を聞けばなるほどとも思え、一方でちょっと意外にも思える選手──。
その選手とは、
中日の
立浪和義。
当時、セ・リーグで覇権争いを繰り広げていたライバルチームの主軸打者であり、2000安打も達成したその打撃センスはもはや説明の必要はないだろう。そこで実際にどれだけ打たれていたのかを調べてみると、2人の対戦成績は打率.308、6本塁打、20打点。斎藤氏の話しぶりから4割、5割近く打ち込まれていたのかと思いきや、実際はそこまでではなかったというのが真相だった。
それでも感覚的にビシっと抑えた印象がほぼないと話すように、斎藤氏にとっては間違いなく厄介極まりないバッターだった。現在は新型コロナウイルスの影響で野球がない生活が続いているが、こういった話をほじくりながら盛り上がれるのもプロ野球の楽しみの1つ。もし機会があれば、立浪和義氏側にも斎藤雅樹を当時打ち込んでいた印象が実際にあるのか、ないのかもどこかで聞いてみたいと思っている。むしろ、対談してもらうのが一番いいかもしれないなとも思いつつ、超一流同士の対決がまた見たくなってきた。
ああ、プロ野球が恋しい。
文=松井進作 写真=BBM