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“小さな大投手”石川雅規が誕生した大学時代の猛練習

 

想像を絶する練習メニュー


ヤクルト石川雅規は青学大時代、東都大学リーグで通算23勝。4年間の猛練習が、現在に至るまでのプロでの活躍につながっている


 今年1月で40歳をとなったが、老け込む気配はまったく見られない。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、プロ野球の開幕は延期。今季から指揮を執るヤクルト・高津臣吾監督から、オープニングの先発マウンドを託されていたのがベテラン・石川雅規だった。

 プロ19年目で、NPB通算171勝。昨年まで実働18年、先発ローテーションを守り続けてきた。167センチ73キロ。「小さな大投手」を支えているのは、練習量にほかならない。下半身強化。走り込みこそが、投手としての基本であることを熟知している。

 21年前。青学大2年時の春季キャンプこそが、石川の原点だ。1999年2月。鹿児島・指宿合宿は想像を絶するメニューだった。早朝、約2時間にわたるタイムトライアルのランニングから1日が始まる。一定の本数をすべて制限時間内に走破しない限り、投手陣を預かる善波厚司コーチ(当時、のち監督)の笛は鳴り止まない。あまりの苦しさに、グラウンドで嘔吐したのは、一度や二度ではない。

 ブルペンでは5日間で2000球。すべて全力では、体がもたない。短いインタバルでリズム良くほうる。この投げ込みを繰り返すことにより、ムダな力を使わなくても、キレの良いボールが投げられる感覚が養われた。2年生・石川は、この猛特訓を気力で乗り切った。

 99年春、青学大はエース不在の厳しい台所事情だった。そこで救世主となったのが、リーグ戦未勝利の石川。開幕直前、慶大とのオープン戦が野球人生の転機となった。以前から投げていたシュートを、タテ変化させる握りに微調整。ほぼぶっつけ本番で試した新球・シンカーが威力を発揮して、完投勝利を挙げている。このウイニングショットが面白いように決まると、キレの良い直球、カーブ、スライダーを交えた配球に磨きがかかった。

 同春に6勝を挙げ、6季ぶりのリーグ優勝。大学選手権でも全4試合に登板して3勝をマークし、3年ぶり3度目優勝の原動力となった。同年9月にはシドニー五輪アジア予選(韓国)の日本代表に選出され、のちのチームメートとなるヤクルト・古田敦也とバッテリーを組んだ。そして同秋は、さらに衝撃を与える。春秋連覇で臨んだ明治神宮大会2回戦(対創価大)で、引き分け再試合(1対1)となった延長18回を、一人で投げ切ったのだ。打者66人に対し235球の15奪三振。「小さな大投手」の称号を不動とした試合である。

練習はウソをつかないという事実


 3年時はシドニー五輪に出場。大学4年間(1998〜2001年)で東都大学リーグ通算23勝8敗、防御率1.63と、神宮で一時代を築いた。当時、青学大野球部のグラウンドは綱島(横浜市港北区)にあったが、取材へ行けばいつも、外野のポール間を黙々と走る石川の姿が見られた。目が血走っていた……。善波コーチの下で、強じんなスタミナを構築。激しい息づかいが、聞こえてきたものである。

 大学の先輩に当たる小久保裕紀(侍ジャパン前監督)と井口資仁(現ロッテ監督)が、青学大におけるレジェンド野手に挙がるが、石川も伝説の投手として語り継がれている。共通しているのは、練習はウソをつかないという事実。努力をし続けた選手こそが、プロの世界で長くプレーできることを証明している。

 不惑を迎えても若々しく、衰え知らずの左腕。新型コロナウイルスの感染拡大により「開幕延期」という、かつてない状況にある。コンディション調整の難しさに直面しているが、ベテランは限られた環境において、時間を有効活用しているはずだ。正確無比なコントロールに加えて、相手打者を幻惑させる投球術は、さらなるバージョンアップが期待される。

文=岡本朋祐 写真=BBM

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