一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 左投手を苦にしない門田博光
今回は『1971年5月24日号』。定価は90円。
1971年はシーズン初めから
巨人が独走気配。4月14日から12連勝と手がつけられない。
原動力は絶好調のONだ。前年不振に苦しんだ長嶋もよく打っている。
前年の
阪神・
田淵幸一の死球もあって、多くの打者が耳に覆いのついたヘルメットを着けだしたが、2人は使わなかったようだ。
長嶋茂雄は、
「頭にくるボールは絶対によけられる。頭にぶつけられるなんてどうかしてる。あんなヘルメット使わなくて大丈夫です」
と話していた。
巨人の連勝をようやく止めたのが、5月5日の大洋だったが、続く9日には
三原脩監督の
ヤクルトも意地を見せた(神宮)。
左腕・
外山義明の二刀流。投げては完投、打っては3ベースと1エラーの実質ランニングホームランがあった。
ヤクルトで話題になったのが、三原が近鉄時代に始めた乱数表。複雑なサインのキーをグラブに貼っておくものだが、投げる前、グラブをじっと見る姿が定番となってきた。
当時は左投手が今より少なく、だから左打者が有利ではあったのだが、その裏腹で左打者の左投手への苦手意識も強かった。
例外は南海の若手・
門田博光。「左のほうが好きなくらいです」とまで言う。
「右バッターが右の一流投手からポンポン打っているのに、左のバッターが左のピッチャーを打てないことはないはずです。左投手の数が少なくて、練習で打つ機会が少ないために弱いとされているんでしょうが、そんなことは練習と気分の持ちようで克服できるはずです」
野村克也監督も「ほんまにあいつは重宝なやつや」と称賛していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM