一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 それでも勝ちに徹する巨人
今回は『1971年5月31日号』。定価は90円。
まさに手負いの虎だった。
村山実兼任監督、胆のう炎。
エース・
江夏豊、心室性期外収縮の頻発による頻脈状態。
若き四番・
田淵幸一、急性腎炎。
5月12日、後楽園球場の巨人戦には、その江夏が先発した。実は、このときも東京に来る前、心臓発作が起き、主治医のストップを振り切っての登板だった。
それでも4対1とリードし、9回まで進む。まず
王貞治を三振に打ち取って一死にしたが、続く
長嶋茂雄の打席の前、一瞬、江夏の苦痛に顔がゆがんだ。
突然、球威が落ち、制球も乱れる。フルカウントから長嶋がホームラン、さらに
高田繁も続き、4対3の1点差だ。
それでも後続を抑え、完投勝利。しかし、江夏に笑顔はなく、両手を膝についてしばらく動かなかった。いや、動けなかった。
村山監督が自らマウンドに行き、江夏を抱えるようにロッカーまでつれていき、椅子に座らせた。
「完全にばてた。よく持ちこたえたと思う。なにがなんでも勝たなければという一念で投げた」
苦しそうに肩で息をし、脂汗がにじんでいた。
江夏の心臓発作は精神的に興奮したり、極度の緊張状態になると起きるらしい。実にやっかいな持病だ。
「こんな病気があるとは昨年はじめて知ったんだ。昨年徹底的に治療したので、もう大丈夫と思ったんだが、まさか再発するとは」
昨年、発作は2度あった。2度目の9月26日、
中日戦では延長13回、166球を投げた後、失神状態になり、5日間入院している。
主治医は言う。
「医師としては私は投げてほしくなかったし、遠征に行ってほしくなかった。何かあったら、危険なのですぐ引っ込め、大阪に戻してほしいと伝えた」
阪神側も何かあったらすぐ降板させ、飛行機で大阪に行かせる手はずは整えていたという。
主治医から判断方法を聞かれていたトレーナーはイニングの合間に脈拍を測っていた。江夏の平常時は70だが、発作が起こると160になる。試合中、多少上がるのは仕方がないが、「100が限界」と主治医は球団に伝えた。
この日の江夏は7回に100となったが、幸いそれ以上にはいかなかったという。
ただ、ここまで悪化した原因の1つはタバコ。江夏は医師にいくら止めろと言われても、
「できるだけ吸わないように決めた」
としか言わなかった。
他チームの江夏の心臓が悪いという情報は入っていたが、巨人は「バントで江夏を揺さぶれ。そうすれば交代になる」という非情な策に出ていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM