一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 広瀬よ、もっと走れ!
今回は『1971年6月7日号』。定価は90円。
通算479盗塁の
木塚忠助(元南海ほか)の記録を抜き、盗塁日本一の座にあった南海・
広瀬叔功について、当時週べで連載をしていた木塚本人が書いていた。
阪急・
福本豊が急激に台頭しており、前年の盗塁王に加え、この年は開幕から28試合で21盗塁、11試合連続盗塁など、すさまじい勢いで量産していたが、まだまだ広瀬が盗塁の球界の第一人者という声は多く、木塚も絶賛している。
広瀬は「チームにとって必要なとき以外は走らない」と常々言っていたが、木塚の目から見ても、広瀬が一番乗っているシーズンは100盗塁も可能だと思ったことがあるという。
この年のチームでも、二番が左の
門田博光だったこともあり、自身が一塁にいることで一塁手を釘付けにし、門田のために一、二塁間をあけさせる意識が強かった。
木塚は、そのフォアザチームを評価しつつも、
「もっと走ってもいいのではないか」と広瀬に言ったという。
対して、
「接戦じゃないと気が乗らんのです。そんなときに走ったら失敗するんです」
と広瀬は答えた。彼の盗塁は、
「ここ一番のときに成功してきた自信の積み重ね」
が根底にある。かつて黄金時代の南海を足で支えた自負もあるのだろう。
木塚はそれを認めながらも
「ファンの目が彼の足に向かっている以上は、ときにファンサービスのために走ってもいいのではないか。それがプロフェッショナルというものだろう。まだまだ広瀬の足は衰えていない。今から考えを変えても遅くない」
と書いていた。
では、また月曜に(きょうはGW進行で働いています。週べは今後も予定どおり発行しています。祝日もあって、次回は28日火曜、次が5月7日木曜発売です)。
<次回に続く>
写真=BBM