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週べ60周年記念

大洋・平松政次はなぜ怒ったか/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

記者たちも驚いた怒り


表紙は中日谷沢健一



 今回は『1971年6月14日号』。定価は90円。

 前回と同じ号から。
 今回は、コメントしていただいた方のリクエストに答えて。

 中日・谷沢健一の記事は、探したがこの号にはなかった。
 大洋・平松政次の「絢爛と憂鬱」は以下のような内容だった。
 
 5月22日、セ・リーグは東京運動記者クラブに「各球場のロッカールームへの立ち入りは一切禁じる」と通達があった。実際には巨人をはじめ、大洋以外の在京球団は、球団の判断でほぼ禁止していたが、逆に選手食堂などへの出入りはOKしていた(今はいっさいできない)。
 大洋がOKだったのは、川崎球場はロッカーの奥に食堂があり、ロッカーの立ち入りを禁止されると、その取材もできないことがあったからだ。

 球団はその代わり、記者たちが選手を選び、記者室で取材を受けさせることを約束した。
 ただ、正直、勝てばいいが、負けたらさらしものだ。

 そんな中で事件が起こった。
 5月23日、大洋─巨人戦(川崎)。1対2で大洋が敗れ、6連敗となった試合だ。先発の平松はこの時点で防御率1.93ながら味方の援護もなく、この日で6勝5敗となっていた。

 ドアを乱暴に開け、入ってきた平松は開口一番、
「なんでこんなとこに、負けてまで来なきゃいけないんだ」
 と大声で言い、そのまま出ていこうとした。
 それでも一呼吸した後、観念したかのように椅子に座り、
「はい、打たれました。負けましたと、こんなとこまでなぜ言いに来なきゃいけないんですか」
 と記者たちをにらみつけるようにして言い、その後、平松も記者もしばらく沈黙した。

 平松が落ち着いてきたとき、
「調子は、この間、完投で勝ったときよりよかったのでは」と質問が出たが、
 平松は「でしょうね」とだけ。
「高田に打たれたのは」と聞かれても
「さあ、忘れた」
 しらけ切った対応だった。

 これが巨人・堀内恒夫阪神江夏豊なら「またか」だが、記者たちは、ふだんは気配りの人で、常に穏やかなナイスガイ、平松だったので戸惑っていた。
 ただ、このときも不機嫌だけで終わらず、致命的なエラーをした新人の野口に話が行くと、
「野口をいじめるのはやめてください。指示が歓声に消されて聞こえなかったんですよ。新人で久しぶりの出場でしょ。前途ある選手をいじけさせないで」
 と記者たちに頼み込み、
 さらにしばらくし、私服に着替えた後にあらためてやってきて、
「先ほどは取り乱してすいません」
 と頭を下げた。

 好投にも打線の援護がなく拙守で足を引っ張られ、勝ち星が増えてなかったこと、身の覚えない女性との結婚話が報道されていたことなどもあり、イライラもあったようだ。

 では、また木曜日に。

<次回に続く>

写真=BBM
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