37年ぶりの「決勝再試合」
頂点に立った瞬間、マウンド上で大きく吠えた斎藤
100年以上に及ぶ甲子園の歴史の中でも、後世に語り継がれる名勝負となったのが2006年夏の決勝である。
早実(西東京)と駒大苫小牧高(南北海道)による死闘である。「ハンカチ王子」と「北の怪物」の投げ合いは37年ぶりの「決勝再試合」にまでもつれ込んだ。
1931〜33年の中京商(愛知)以来となる、駒大苫小牧の夏3連覇を阻んだのが、早実・
斎藤佑樹(現
日本ハム)だった。
前年夏、胴上げ投手となった
田中将大(現ヤンキース)との壮絶なる投手戦が展開された。8月20日の決勝は1対1のまま延長15回で決着がつかなかった。田中は3回途中から救援した一方で、斎藤は15回を一人で投げ切っている。
8月21日。翌日の再試合、斎藤は当然のように先発マウンドに立った。対する田中はこの日もブルペン待機。「先発で投げたい気持ちはある。でも、途中から投げるほうが、気合が入る」。初回に先制点を奪われた駒大苫小牧。田中は1回途中で早くもリリーフするが、計3失点を喫する。7試合をほぼ一人で投げた斎藤は118球の省エネ投球。4対1と3点リードの9回表に2ランを浴びて1点差も、冷静であった。9回二死。最後の打者は田中だった。こん身の144キロのストレートで空振り三振に斬っている。948球を投げ切った。
早実は2年生エース・
王貞治を要した57年春のセンバツを制しているが、夏の全国制覇は初の偉業であった。斎藤は喜びを口にした。
「大先輩たちができなかった夏の優勝を、自分たちが成し遂げられたことが一番うれしい。仲間を信じて、部員全員の気持ちと一緒にマウンドを守ってきました」
最後のバッターとなった田中は潔く、敗戦を受け入れた。涙のハンカチ王子に対し、怪物は笑顔だった。
「疲れは相手にも言えること。斎藤君のほうが数段上だった。仲間にありがとうと言いたい。(最後の打席は)見逃し三振じゃなくて、自分のスイングができたから。悔いはない」
特別な甲子園の空気
のちに、斎藤は14年前の幕切れを、小誌のインタビューにこう回顧している。
「あの日の甲子園の匂いとかもはっきりと覚えています。とにかく、最後はすべてがスローモーションだったんですよね。田中から三振を奪ってガッツポーズしているのに皆が全然、来ないなって。本当にわずか数秒なんですけど、あんな感覚を味わったのは後にも先にもあの甲子園の決勝再試合のときだけです」
甲子園の空気。確かに特別なものがある。選手たちはグラウンドでは不思議と、暑さを感じないという。それだけ1球に集中し、アドレナリンが全開なのだ。甲子園の名勝負はいつ振り返っても、心を熱くさせてくれる。決して大げさではなく、生きる活力となる。球児には底知れぬパワーが潜んでいるのだ。
文=岡本朋祐 写真=BBM