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低迷する阪神で奮闘したマット・キーオ氏が死去

 

阪神・キーオ


 MLBアスレチックスが5月2日(現地時間)、阪神で通算45勝を挙げたマット・キーオ氏が死去したと発表した。64歳だった。

 1968年に南海でプレーした内野手のマーティ・キーオの息子で、自身も中学生で1年滞日。メジャーでは5球団でプレー。アスレチックスでは3年連続2ケタ勝利の実績を誇った。敗戦投手となったものの来日1年目の87年から開幕投手を任され11勝をマーク。阪神は同年から2年連続で最下位に沈み、21年ぶりの優勝を果たした85年の“猛虎フィーバー”から一転、“ダメ虎”と揶揄されるようになっていったが、来日2年目は12勝と勝ち星を伸ばし、リーグ6位の防御率2.76を記録した。

 日本でのキャリアハイとなる来日3年目の89年も孤軍奮闘だった。クローザーの中西清起が先発に回るなど先発ローテーションが機能しない中で、15勝9敗と貯金も稼いで、阪神の最下位脱出に貢献。崩壊した投手陣にあって、名実ともにエースとしてチームを支える存在だった。

 武器は鋭いカーブ。元大洋の高木豊氏は「私が現役時代に苦戦したカーブの一つはキーオのブレーキの効いたカーブ。当時の右打者が、向かってくるような軌道にのけぞる場面をよく見ました」と語る。

 ただ、キーオは来日4年目の90年は故障もあって精彩を欠き、7勝にとどまると、オフに解雇された。

写真=BBM
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